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お知らせ/自著物解説『どっからみても波瀾万城 第四話・熊本城』 | 10.04.30 (金)

『どっからみても波瀾万城 第四話・熊本城』について

コミック大河 vol.4 ( 2010-04-24 発売号)に掲載されました。

お城を題材にしたお城擬人化オムニバスうんちくマンガ第四話です。 題材は日本三名城(一般的には名古屋城・姫路城・熊本城)の一角、熊本城。

担当氏から、
「(パロディとかで)ふざけるのは、この作品をリミットにしましょう」
と今後エスカレートして城ウンチク漫画という路線から脱線していかないよう、釘を刺されました。うひ。

ギャグが面白くなるなら他の要素を平気で殺してしまう面があります>自分。 見透かされた!

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表紙。瓦を実スケールに合わせて描くと小さすぎて細かい部分が描けなくなるので、 倍寸くらい?で描いたらさすがに大きすぎた。そのうえあまり良く描けてない……ぅぅぅ。

瓦愛はけっこうある方だと思うのだけど、上手く描けたためしがない。 好きこそものの上手なれ、って嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。

加藤清正

築城の名人としてこの先、何度も描くことになるはずの武将なのに、 あまり深く考えず無計画に描いてしまった。 キャラの掘り下げも全然考えてない。

まぁ、描いてくうちにおいおいなんとかなっていくでしょう。 かえって最初に決め打ちしない方が良さそう……と自己弁護しておく。

最初は小西行長との対比とか確執を色々考えていたんですけどね。 描き始めたら、とてもじゃないけどページが足りなかったので、 その辺をバッサリ省いてしまって、薄いキャラになってしまった。

地名変更

稲葉山を岐阜に変えた信長や小坂を大坂に変えた秀吉の……
スペースの都合で省きましたが、会津黒川を会津若松に変えた蒲生氏郷もね。

信長が稲葉山を岐阜に変えるまで、 権力者が地名を変更した例はほとんど無いんだそうです。 で、信長はそれをやり、配下の武将の間で流行したと。

天主(天守)も、戦でさして役に立つものでもないのに各武将がこぞって建てたのも、 安土城を見てみんなマネしたくなっちゃったからって面があります。

トレンドリーダーっつーか、完全にスーパースター状態っすな>信長。

秀吉の兵糧攻め

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秀吉は兵糧攻めが得意だったっていう定説を、私ごときがやんわり否定しちゃってァウァウアー。

昔、何かの本で
「秀吉はせっかちで、小田原攻めでもしびれを切らして畿内に帰りたがった。それを石田三成などの武将が「大将がここにいなくては」と説得した」
といった内容のくだりを読んだ記憶があるのだけど、 その本がどれだったかは忘れた。

毛利元就の伝記だったかな。元就がいかに深慮遠謀の達人であったかの解説で、 信長は謀術に関しては落第点、秀吉も不十分、元就を手本としていた家康で及第点…といったことが書かれていたような。うろ覚えですけど。

真・関ヶ原のシナリオをやってらっしゃる藤原京先生も、
「城は攻めても落ちないもの、というのが戦国の常識」
と(時代劇のウソ?ホント?―大人の新常識 (リイド文庫)で)おっしゃってるし。

「秀吉が兵糧攻めを得意としたわけではなく、城とは兵糧攻めにするのが当時の常識であって、秀吉はそれに従ったまで」
というのは、そんなに間違ってはない、はず、だと思う(どんどん弱気に)

石垣の登りやすさ

熊本城の石垣が登りやすいか否か、実際に登って確かめよー!

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いけません。危険でもあるし、文化財ですから。

でも私、子供の頃、大天守の石垣によく登ってましたけど(そのころは、こんな注意書きなかったし…(たぶん)…ごめんなさい)。

まぁ、子供の短い手足でもヒョイヒョイと真ん中くらいの高さまで苦もなく登れましたよ、ということで。もっと行けたんだけど、もっと登ろうとしたら両親の叱る声のトーンが変わったのでしぶしぶ降りました。

まぁ、継ぎ目に隙間の無い切込接《きりこみはぎ》の石垣でない限り、石垣は登れるものなんですよ。

これまた「熊本城の扇の勾配は頭上に覆るほどで登れない」という定説を否定するもので、 怒られやしないかとドキドキしているんですが。

大鎧・大兜をつけた武者なら登るのは大変だったかも。 そんな武将が石垣を登るなんていう雑兵のやるような仕事をやるものかどうか、よく知りませんが。

西郷隆盛

今回、タイガーマスクのパロディだったので、 大きい人間つながりで、西郷=G馬場にしようとしたのですが、 基本的に顔のつくりが違うので西郷に似せると馬場に似なくなり 馬場に似せると西郷に似なくなり……で、どっちつかずになってしまいました。失敗。

熊本城炎上

熊本城を取材に行ったとき、宇土櫓の入り口の係の人がえらい饒舌な方で、 いろいろ教えてもらいました。

で、その人曰く、失火説はもうほとんどありえないらしくて、 (間諜による)放火か自焼か。 それで、最近になって自焼を示す電報が見つかったとかなんとか。

その電報が、作品で引用した「熊本県令が打った電報」なのか、いまひとつわからず。 国会図書館まで通っていろいろ調べたんだけどー。 もっと詳しく聞いてれば良かった。

ちなみに作品では谷干城が火をつけてまわったかのように描きましたが、 実際には熊本市と熊本城で出火したとき、谷は市街の外に出ていて不在だったらしいです。 マンガのウソです。すいやせん。

地雷

地雷は日本では戊辰戦争から使われたそうです。 熊本城籠城戦でもそれなりに使われたことは確からしいのですが、 どのような形で、お城のどこで使われたのかは詳細不明だそうで。

詳細がわからないことをいいことに、爆発によって砂利や礫岩を降らせる Fougasse を描きました。参考:The History of Landmines(英語)

マール社の『武器』にも、特定の場所を防衛するもので、16 世紀から 20 世紀初頭まで用いられたとあったので、お城の虎口を守るのにはこれだ!とか勝手に決めて。

ちなみに熊本城籠城戦のときの地雷はいわゆる導火線を用いた時限式の地雷だったそうですが、西南戦争の後期には電信用の銅線を使って、電気式に遠隔爆破できる地雷に改造されたそうです。やばい。開国からわずかのあいだにそこまでやってのける日本の技術力すごい。やばい。

火箭

火箭(ロケット砲)。ここでも、ちょっとウソついてます。 西南戦争中に郵船などの民間船から火箭で攻撃したのは事実なんですが、 それは熊本城籠城戦の最中ではないんですね。籠城戦が終わってから。

マンガのウソです。すいやせん。

おしまい。


コメント

1: Dernell (2011/06/30 01:08)
That’s not just logic. That’s rellay sensible.

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