訪問日 : 2025-01-05
東海道線に乗ってると二川駅に到着直前(または発車直後)にでっかく目に入る二川宿本陣資料館へ行きました。
前々から、いつかはいかなきゃ……と思っていたタスクをついに消化しました。
これは二川駅にあった江戸時代の二川宿の説明。
宿場の両端に屈曲があって、これは枡形であって、防衛のためのものだそうです。 ピキーン! 言ったな? 俺の前でそれを!
まず西側の屈曲。ぜんぜん見通しを防げていません。死角はわずかです。
ついでに言うと枡形としてのスペースは皆無です。この広さでは満足に兵を展開できません。
江戸時代の絵図じゃなくて、測量に基づく現代に作成された推定図でも見通しが防げてないのは変わりません。
対して東側の屈曲は、一応は見通しを防いでいます。枡形のスペースも西側よりは大きい。
しかし東側なので、西からくる敵の防御用としては役立ちません。
幕府が関東を守るために二川宿に防衛機構として折れを作ったのだとすれば、これは矛盾です。
なぜなら東側に折れがあると、東側からの救援物資・救援部隊の到着を阻むからです。
それに東側だって60mくらいは見通せます。火縄銃の射程を考えたら十分な距離。
それに、どうせ高くても二階建ての建物しきゃないんだから、ハシゴ一本あれば屋根に上って「視線遮断」なんか無意味になります。
おまけに、う回路が二本もあります。
二川宿そのものが目的じゃない限り、敵は無理して都市戦を選ぶ必要はありません。
では、二川宿の本陣エリアで東海道はなぜわずかに屈曲してるのか。
一見、地形由来だとはまったく思えないくらい平坦だったので、商業的な理由とかをあれこれ考えましたが、地理院地図で確認したらやっぱり地形由来でした。
ふつーに、せり出した微高地を避けた結果ですね。
1mきざみで配色してます。色の濃い方が標高の高い場所。
道一本分ずらしただけで、なにが変わるんだとお思いでしょう。 せいぜいのぼる量が 20 cm 下がるだけです。
しかし徒歩と牛馬と大八車の中世人にとっては、その 20cm を登るより折れを曲がるほうが圧倒的にラクだったのです。
人類が折れを毛嫌いするようになったのは馬車や自転車など速度の出る乗り物にのりはじめてからです。とりわけ四輪の乗り物(俗にいう自動車)に乗り始めてからなのです。
微高地であるがためにもともと東海道が少し屈曲してて、(水害を受けにくい)微高地であるからこそ、そこに大名のための本陣が創られた……というのが正解でしょう。
おそらく江戸時代以前は 20cm どころかもっとハッキリと、1mとかそんなレベルで道を屈曲させるしかない高低差があって、その時代に道の原型ができたのだと思いますね。長い年月で平坦化されてしまって、のちの時代には屈曲の理由がわからなくなっただけで。
まあ、ようするに。折れがあったら防衛機構だと思い込むの、もうやめましょうって話です。
そんな話を長々とやっています↓。よろしくぅ!
> [研究] 近世大名は城下を迷路化なんてしなかった(1) 第1章~第2章
http://blog.masuseki.com/?p=13669
さて、駅を出て二川宿ぶらり。
東海道線に乗ってると駅と二川宿本陣資料館って目と鼻の先のように思えて、歩いて1分で着きそうに感じていましたが、実際には 1km 離れていました。資料館まで徒歩 6分くらい。
帆前掛け(日本の伝統的エプロン)は豊橋の名産だそーです。
知らんウルトラマンを見ると、老いを痛感します。
それほど古い建物が残っているというわけではない街並み。
二川宿は本陣と旅籠と商家がいっぺんに見学できる全国でも唯一の場所ですが、重要伝統的建造物群保存地区に選ばれるほど古い建物がたくさん残っているわけではないようです。
西の屈曲部分。
役の説明板は撮っただけで読んだのは帰宅してからなので、ここが枡形だとは思っておらず撮るという意識はありませんでした。たまたま写ってたのをトリミングしたのがこの写真です。
パノラマ合成がうまくいっていませんが、西駒屋住宅。国登録有形文化財。
西駒屋住宅は内部見学はできないのかな。たぶん。個人の所有らしい。現住してるかどうかはわかんない。
資料館の前。道路(旧東海道)から旅籠『清明屋』の一部が見えます。
資料館に入ります。家紋は松平伊豆守系・大河内松平家の家紋だったかな。
旅籠『清明屋』のジオラマ。等身大ジオラマがある資料館は良い資料館。
いったん全体像を撮るために外に出たり(入館料を払う前なのでセーフ)。
こんなのストリートビューで見られるし、見学が終わってから撮ったってよかろうに。なにやってんでしょね、自分。
こちらは門をくぐってからのパノラマ。
なんか飾りの小物が多くて楽しい。
紅毛氈《ひもうせん》はどうかなあ、と思わないでもない。
みなもと先生は着物の柄を描くの好きですよね。呉服商でデザイナーとして就職したくらいですし。
私は着物の柄を描くの苦手です。というか着物を描くのが苦手です。というか服を描くのが苦手です。描くのが得意なものってあるのかですって? えへ、えへへ、えへへへへへへ……(目をそらしてあとずさる)
一人旅なので着ませんでした。
これは明治~昭和期の調度品なのかしら?
掛け軸に「微笑」。微笑と聞くとえっちな雑誌を思い出す世代です。
子供心に、これは読んじゃいけない本だと思いながらチラチラ見てました>微笑。 女性向けの雑誌でエッチな内容というのが、小学校低学年の私には理解を超えた存在だったんですよね……
なかなかよい風情。
けっこう年季が入ってる。←あたりまえー。
訪問日が1/5だったので人日《じんじつ》の節句(1/7)の飾りあり。
へっぽこカメラしか持ってなかったので明かり障子の光がこんな風に撮られちゃうの。
調度品の装飾は控えめ。このへんは中~下級藩士の宿泊場所とか、そういうことかな。
ちりめん細工。江戸時代の民芸。華やかで楽しくてすばらしい。
地元の愛好家の作品発表の場として本陣が利用されているみたい。いいことだ。
奥座敷。
へっぽこカメラでもたまにマシな写真が撮れる。
本陣はいちおう現存建物を復元整備したものだけど、復元前はかなりボロボロだったっぽい。
茶室。ホテルにラウンジバーがあるみたいなもんですかね(ひどいたとえ)
大名が宿泊するので、上段の間があります。
ホテルに会議室があるみたいなもんですかね(いちいちたとえなくてよい)
マンガに描くには面倒すぎるタイプの欄間。
大名用の風呂。直焚きはできず別の場所からお湯を運んでくる。
追い炊きできる分、弥二さん喜多さんの五右衛門風呂の方が高級なのでは……?
廊下。はぁぁん木目ェーッ! 好きィイイーッ!。
大名用のトイレ(小)。なんで畳しいてんの…? OBしたらどうすんの…?
大名用のトイレ(大)。これほんとOBしたらどうすんの? マジで。
縁側。とてもよい。
これ、すこしきらびやかにすれば遊郭とか妓楼の背景に転用できそうよね。
やっと本陣を出て資料館へ。
私はお城を見に行ったりするとき、遺構を優先して資料館をスルーしちゃうことがけっこうあるのですが、二川宿本陣資料館は資料館の部分も目的だったので今回はスルーせず。
ささえないと自立できない瓶《カメ》って、どういう理由でそういう風にしてんだろ?。
庶民の日焼けっぷりにこだわりのある二川宿本陣資料館。江戸時代は日焼け止めないもんな。
もっと日焼けしててよさそうな駕籠かきはそれほどでもない。なぜに?
でもまあ、ジオラマが豊富な良い資料館。
ありがてえ~。オレンジ色が水田で緑のシマシマは畑なのかしらん?
パノラマ合成がうまくいかず、一部は手作業でつなげました。
まあやっぱり迂回できるのです。
道を通っても迂回できるし、田畑のあぜ道を通っても迂回できます。
仮に敵の目的が通過ではなく本陣に宿泊している大名の襲撃だとしても、東海道の東西二か所を塞いだところで田畑から寄せてくる敵勢は防げません。
現実の敵はタワーディフェンスの敵とちがって、道なりに来るわけじゃありません。
しかし、宿場町のあたりはまったく微高地に見えませんね。 開発が進んで土が取られて平坦化が進んだものと思われます。
説明が見切れてよくわかりませんが、これは二川本陣でこういう食事を出していたというわけではなく、東海道の名物であった丸子のとろろ汁の再現かな。
江戸時代の旅の豆知識なパネルも豊富。
相部屋では用心しろみたいなことが書いてあるけど、相部屋じゃなくても部屋に鍵は無いんだよなあ、たぶん。防犯とかどうなってたんだろう。わりと女性も旅をしてたはずなんだけど。
ジオラマの中に転んでるやつがおる、ちょっとしたユーモア。
お役所仕事がこういう遊び心を入れられるようになったのが、平成以降ジャパンの良いところ。まあ、ときどき一線を越えて問題になってますけどね。
遊び心は大事なので、この風潮は続いてほしいです。
千両箱重さ比べ。幕末の千両箱なら私でも片手で持ち上げられる。
すごろくゲーム。こういうの好きなんですけど、いまいち「味」が無さそうだったのでスルー。
大名行列ジオラマ。助かるー! 助かるー!
思ってたより裾をからげるんだな。夏という設定なのかもしんないけど。
このドラム部隊はなに? と思ったら雨具を入れた駕籠を持つ部隊らしい。
夏っていう設定だとしたら笠をかぶってる人間が少ないな。
このあと宇宙人に拉致される大名(違。
大名駕籠。まあ助かる。
中を撮れるのはとても助かる。
展示施設を出て、まだ終わらない。。
やっと最初に見えた旅籠『清明屋』に戻る。
なに、ちょっとモジモジしてんねん?
角帯ってポケット代わりになるん?。
どういう結び目になってるのか構造を理解しないまま、いつもごまかして描いてます。そしてごまかせていません。
本陣と違ってこちらは庶民の宿泊内容が中心。
風呂。追い炊き可能。
ヘボいカメラにはヘボなりの味がある。資料としては残念クオリティだけど。。
あまりの展示物の物量に疲れてきて、『清明屋』は雑に見て二川宿本陣資料館を出ました。
東の枡形。西の枡形よりは兵を展開するスペースがあります。
二川宿が東から攻めてくる敵に対処しなきゃいけない状況が江戸時代にありえたかどうかはともかくとして。
商家。駒屋。内部も見学できます。
商家なら関東圏でも見学できる古商家が多いのですね。大きなちがいもなさそう。
へえ~。二階建てじゃないんだなあ、と思ったくらい。
もともと商家だからか、建物を利用した休憩施設やカフェなど多し。
資料館を見て疲れたでしょ、ひとやすみしませんか?な場所。うまく考えてる。
まあ私は疲れてるからこそ、もう見物を終わりたかったw。
カフェで休んだら、食べ物とかなんだかんだを撮って、かえってしんどいじゃないですか。
……と、ビンボだから利用しなかっただけのことをうまくごまかして(ごまかせてない)
ソニックにこんなステージがあった記憶
マンホール蓋は守備範囲じゃないけど、見かけたらいちおう撮る
東海道線側から見える部分に戻ったりして。
資料館(鉄筋コンクリ)に隠されて、本陣(古建築)は車窓から見えないんですよね……帰ろうパトラッシュ……
土蔵と本陣の屋根がちょこっと見えるくらい。
電車の写真を撮るのへたくそ選手権。
私の訪問エントリ、だいたい写真が 40~50 枚くらいが多いんですけど、このエントリは 80 枚を超えました。
想像以上に展示内容が濃かったです。むしろ、
「ここでこんなに時間を使ったら今日の予定が、予定が……」
とビビッて、清明屋と駒屋の見学がおざなりになってしまったくらい。」
江戸時代の旅行に興味があるなら、充実した時間を過ごせるスポットだと思います。
> 二川宿本陣資料館 https://futagawa-honjin.jp/