18きっぷで高知城に行ったら天守と御殿は休館日だった

18きっぷで高知に行って野宿したり高知城天守が年末年始休みだった話

2012 の年末もまた、帰省のついでに寄り道してお城を見に行った。 なんとか早く、現存12天守をコンプしたいのだけど、残るは高知城・松江城・弘前城……東京からアクセスが大変なとこばっかりだ!

雪景色にそまる冬の松江城・弘前城の美しさたるや……というものだろうけれども、 雪で遺構が埋まってしまっているのも困るので、冬は避けたい。なら高知しかないでしょう!という。

ちなみに、『見えたァー! 青春18きっぷで18倍たのしむ東海道本線』を書き下ろすことは決めてたので、それの取材もかねての18きっぷ移動だった。 ネタバレになるのを避けて、本を書き終えるまでブログの記事にするのを避けてた次第。

見えたァー! 青春18きっぷで18倍たのしむ東海道本線 見えたァー! 青春18きっぷで18倍たのしむ東海道本線 – 桝田道也 | ブクログのパブー( 800 円)

このエントリは、『見えたァー! 青春18きっぷで18倍たのしむ東海道本線』で使わなかった写真を中心にすすめます。

昼すぎに東京を出発

今回はムーンライトながらの指定席券が取れたので、深夜0時頃までに小田原へ着けばいい。 でも、『見えたァー! 青春18きっぷで18倍たのしむ東海道本線』で使う写真を撮るためには日没じゃ困る。しかし早く着きすぎたら時間をつぶすのが大変……というわけで、昼すぎに東京を出発

 東京駅赤レンガ

東京駅赤レンガ。明治の息吹がええね。

 大船観音

大船観音。こういうのに、いちいち「うおおおっ」てやってりゃ18きっぷの移動はそんなに辛くない。 少なくとも日中は。

 衝撃注意

ある意味、衝撃的だ。絵が。

 小田原駅

途中で寄り道しつつ、小田原到着。 ムーンライトながらまでまだ時間はたっぷりあるので、駅周辺を散策。

 おだわらっ子の約束

この約束が守れる子なら「ごめんなさい」を言う機会は無い。3.の後半は必要ないな。

……さて、だいぶ歩いたし、これから長時間の夜行列車に乗るから靴下でも交換しようかなっと。 リュックを開けて気がついた。この旅行中に履き捨てていけるよう選んでおいた、穴の空いた靴下やゴムのゆるんだパンツをまとめたビニール袋をリュックに入れ忘れて出発してた。

あわててドンキに飛び込んでパンツと靴下を3日分購入。注意力欠陥は自分の性とはいえ、先が思いやられる初日となった。

小田原~四国

 ムーンライトながら

ムーンライトながら到着。この車両は特急の車両だと脳に刷り込まれている世代なので、 普通乗車券で乗ることに罪悪感を感じてしまった。

大垣ダッシュなどという悪習には参加せず。勝利も不戦敗もない。あんなもんに勝ち負けなんかはなく、ホームは走らないのが当たり前。

 米原あたり

米原あたり。しらじらと夜が明け、黒い山を背負った新幹線が白線を引いて過ぎ去っていった。

 湖東平野

薄雪のかかった湖東平野を朝日が照らし夜のとばりが溶けていく。

『見えたァー!』を作ってて、 田畑しかない平野にこそ美があるよなあ……と思ったのだけど、 建前としては「車窓から見えるもの」なので、なにもないのがある!とは言いにくい。 かててくわえて、なにもないのがいい!なんて言われても地元の人は不愉快だろうな……と思った。

 カレーコロッケうどん

京都駅到着。カレーコロッケうどんなるメニューが目に入った。おいおいコロッケなら蕎麦だろ常識的に考えて。しかもカレーって。まったく関西人ってやつは。ちょっと食べさせてもらいますよ。ああ、うん、カレーうどんにコロッケの味だ。ゲフー。

 新大阪駅ちかくのアパート・マンション群

東淀川~新大阪は良い感じの集合住宅が多かった。しかし、集合住宅の魅力とか説明しづらいので、集合住宅も『見えたァー!』には入れなかったな。

団地の見究 団地の見究 大山 顕
東京書籍
Amazon.co.jpで詳細を見る

なるほどなー、と着眼点に感心はする。しかし私自身、正直言って工場やダムほど団地に萌えるかと言われれば、そんなことないのであった。

 尼崎駅前

尼崎駅前の集合住宅。こっちも良い。 しかし、新大阪のと、どこがどう違うのか? 集合住宅ならなんでもいいんじゃないか? …などと聞かれると説明できない。

東海道線が終わって山陽本線に入った。

 明石城

明石城。ちゃんと行ったことはない。

 明石海峡大橋

明石海峡大橋。『見えたァー!』山陽本線 ver. 出ないかなあ。だれか描いてくれないかなあ。

 旭川(岡山県)

旭川。岡山城が見えたァー!……って、このサイズの画像じゃわかりづらいと思いますが。 中央の黒い三角のがそれです。

 瀬戸大橋から  瀬戸大橋から  瀬戸大橋から

瀬戸大橋も人生三度目となると、そんなにはしゃがな……いや、楽しいわ。

 コスモ石油坂出製油所

うおおおなんだこれーっ!前二回の乗車時には気付かなかったぞー!

コスモ石油坂出製油所。はじめて瀬戸大橋を渡った岡山→香川のときは日没後だったし、 二回目は日中だったけど香川→岡山だったので海の方ばかり見て気付かなかったのだな。

 香川県宇多津町

宇多津の街並み。かっこよすぎる。

 ゴールドタワー 香川県宇多津町

ゴールドタワー。そのネーミングセンスは見習わないけど、臆することなくその名前に決めた勇敢さは見習いたい。

 →ゴールドタワー – Wikipedia

 丸亀城

丸亀城。見えたァー!良いお城です。

 →<フックショットを使いたい城 讃岐国丸亀城 | 桝席ブログ

 多度津駅 給水塔

多度津駅。給水塔ふたつと転車台が登録有形文化財。

さて、ここより土讃線。琴平駅に近づくにしたがって何度も何度も「また見えたァー!また!また!」となるのが……

 灸まん看板

琴平名物『灸まん』の看板だ。

 →灸まん – Wikipedia

天保年間に、江戸の小金井小次郎という侠客がこの旅籠に泊まり、麻田屋の女中衆に当時麻田屋の名物として知れ渡っていた「金毘羅灸」を据えるよう所望した。小金井は非常に美男子だったため灸を据えるのに女中衆で取り合いになったという。結局灸を据えることになったある女中が特別柔らかい灸を据えたため、小金井は「こいつは甘めぇお灸だ」とは言ったものの、非常にこの灸が気に入ったらしく、以後「金毘羅灸」はますます評判を取ったという。

麻田屋の六代目の主人が屋号を「石段や」とし、旅籠より茶店に商売替えをする際、この逸話にとりお灸の形をした饅頭を創始したという。

そんで、金毘羅様の参拝で疲れた客に「食べるお灸」とアピールして見事、名物になったという。

 灸まん

乗り換え待ちのため、琴平で小一時間ほどブラブラしてるうちに小腹がすいたので買ってみた。

さて、その味は……。うん、買う前から外見でうすうすわかっていたけれども、これ、
博多名物『ひよこ饅頭』とまったく同じ味だわ。かたちがちょっとちがうだけ。

神曲。7分ちかい曲だったのか。最後まで聞いてもーた。

 琴平駅

琴平駅。駅舎は登録有形文化財。

こんぴらさんにお参りする時間は無かったけど、高校生のときに一度参拝してるので、ゆるしてもらおう。

 こんぴらさんのマーク

こんぴらさんのマーク。超漢字なら出せるのだろうか?などと考えてしまった。

高知行きの電車に乗ったら、日没。

 大歩危駅の児啼爺像

大歩危駅の駅長扱いになってる児啼爺像。夜に撮るとブレもあって、マジで怖い写真になった。

高知到着!さあ野宿だ

 土佐電気鉄道(路面電車)

高知へ着いた。22:15 ごろだったかな。大急ぎで路面電車の終電に飛び乗った。

高知城が最優先課題であるけれど、せっかくなら桂浜にある浦戸城址と浦戸台場址も見たい。 しかし、桂浜へのバスは終わってる時間だし、翌日にバスで桂浜に行って、見て、戻って……とやっていたら、高知城を見る時間が足りなくなってしまう。

翌日の正午くらいに高知駅を発たないとならないタイムテーブルだった。

悩みに悩んで、ついにこういう結論を出した。

10km 歩いて桂浜まで行って、そこで野宿して、朝になったら浦戸城址と浦戸台場址を見て、 始発のバスで高知市街地に戻って高知城を見る。と。
なに、お遍路の国だ。旅人が道路で寝てたって気にする人がいるもんか、と。

すべて終わった今となっては過去の自分にこう言える。
「桂浜の国民宿舎に泊まるという考えは浮かばなかったのか?」
と。

できれば、風呂に入りたかったので、百石町で下車。 このあたりに土佐温泉という銭湯があるらしいと検索したら書いてあった。。

土佐温泉は 21:30 に閉まるので、この時点で入れる可能性はなかったのだけど、 そのときの下調べでは営業時間を見つけることができず、 ダメもとで向かってみたのだった。

あと、土佐温泉に行った銭湯ブロガーは決まって
「場所がわかりにくい」
とも書いていた。

 土佐温泉の案内標識

土佐温泉への道案内。
「さすが異国の地ともなると右と左が逆だぜ……」
などと思った。
「矢印の方向に曲がったあと、50m 先を左折」
という意味だと気付いたのは五分ほど迷ってから。

迷わず到着しても、閉まってる時刻だったんですけどね。

 道路標識

さあ!歩くか!

 道路標識

だいぶ歩いたぞ、そろそろ半分くらいは来ただろう……と思って標識を見ると、まだ消化率 26% 。自分の体感距離は現実の倍くらいだと認識する良い経験となった。

 リープル

ちょっと休憩。

 道路標識

え?はりまや橋?見たい!寄り道しようかな…(戻るな、戻るな)

 海岸

とりあえず海岸にはついた。まだ桂浜ではない。波の音が気持ちを滅入らせていく。 実際に歩く前は簡単に考えていた 10km の距離の重みがのしかかり半泣きになりながら歩いていた。

 夜の海岸

浦戸城までもう少し。

 浦戸城前

着いたー!もうヘトヘト。さあ寝るぞ。いままで18きっぷ旅行で野宿したことはあったけど、 いずれも終電を逃したとかでやむにやまれずだった。
しかし今回は予定の行動よ。寝袋も用意してらあ!

「やー、歩いたから暑いや。コートも脱ごう。寝袋も腰から下で十分なくらいだ」

(10分後)「汗が引いたらさすがに寒くなってきたな。ちゃんと全身、寝袋に入ろう」

(さらに10分後)「さ…寒い!コート着て寝よう」

(さらに10分後)「寒い寒い寒い寒い!え?こーいうもん?寝袋ってこーいうもんなの?」

……というわけで、アウトドア経験の少ない私は、寝袋を過信していたという話。 テントを張ったわけじゃないので、風にさらされ地面から熱が逃げていくと、 南国土佐といえ 12 月は寒かった。

 高知の夜

おまけに就寝前はかすかに月明かりがあったものの、夜明け前に小雨が降り出した。もう、泣きそう。

朝、人が通りがかったら恥ずかしいなと思いつつ、屋根のあるバス亭ベンチへ移動して再び寝た。 海のほうから、
「アオッ アオッ」
と海獣のような鳴き声が聞こえてきた。

この話は 『見えたァー!』に コラムとして書いたけど、 真剣に、なんで高知の海岸から海獣の鳴き声が聞こえるのかわからず
「クジラ・イルカの鳴き声である」
「自分は知らないが高知沿岸にはアシカまたはオットセイが生息しているのである」
「実は野犬である」
などと不安におびえながら、しかし寝られずなんてことはなく、少し眠って朝を迎えた。

浦戸城

 浦戸城

夜は明けたが小雨がふりすぼり、写真を撮るのに適さない。しかし見て回らないと野宿した意味がないのでしかたなく防水デジカメを片手に見て回った。

ちなみにこの浦戸城、遺構の残存度はかなり低い。

 →浦戸城 – Wikipedia

城のはじまりは鎌倉時代あたりらしいが、本格的な城になったのは戦国時代から。 豊臣に臣従した長宗我部元親が(おそらく臣従の証しに)織豊系の石垣の城に改築し 三層の天守も築いたという。関ヶ原後に土佐を与えられた山内一豊もしばらくはここを 居城にしたが浦戸は城下町を築くには狭かったので高知に移った……そういう城。

遺構を楽しむというより、長宗我部元親や山内一豊という有名武将が居城としたというロマンに思いを馳せる城。

 浦戸城 天守台

天守台の石垣。これすらも、残っていたというよりは発掘された石材で復元したというレベルらしい。

 浦戸城 天守があった場所

天守台跡。いまは小さな社があるのみ。

 浦戸地区

石垣があるけど、天守台があの状態ではこの石垣も遺構じゃないのだろう。 写真の逆方向、つまりこの写真を撮ってる私の背後が三の丸跡。堀切が残るというけど私にはよくわからず。 この桂浜へ続く県道が、かつての堀切なのかどうか…と、そんなことを空想した。

さて、次は浦戸台場のあった桂浜だ。

浦戸台場跡

 桂浜

桂浜に到着。

 桂浜でシェー

とりあえず記念のシェー。

 坂本龍馬像(桂浜)

「日本の夜明けは近いぜよ!」

そうだ。無理に野宿したのは、朝日をあびながら
「日本の夜明けは近いぜよ!」
と龍馬像と同じポーズをとる、そんな写真が撮りたいと思ったからだった。 雨が降って朝日が射さない可能性も考慮せず、 龍馬像がこんなに高い台の上のこんなに大きな像だとも思っていなかったのだ。

さて、浦戸台場跡。

時は幕末。ブラック政府に異国船が見えたら大砲で打ち払え!なんてムチャを命じられてしかたなく土佐藩は浦戸に台場(大砲を撃つための砦)を築きましたとさ。それが浦戸台場。

 →浦戸台場跡 – 城めぐドットコム

場所は桂浜。……のはずなんだけど、パッと見て見つからなかったので、公園清掃のおじさんに聞いてみた。
「すいませーん。浦戸台場ってどこですか?」
「浦戸台場……?そんなもん、聞いたことないな」
(えーっ!?と思いながら)「大砲の跡なんですけど」
「ああ、大砲の跡か!それならそこだその先」

「でも、なにもないよ」
と、マイナーな城を訪ねるお城スキーなら必ず言われるという定番のひとことを、 ついに私ももらうことができました。やった!なんかステージが一段あがったような気がします!

なに、言ってやんでえ。こちとらその「なにもない」を見に来てるんだっつーの……と思って向かったら

 浦戸台場跡

たしかにこれは、なにもない。

 浦戸台場跡

わずかに石垣が残っているくらい。説明版の立っている数坪のスペースが弾薬置き場だったらしい。

 浦戸台場跡

ここに弾薬置き場ということは、ここを登った上の見晴らしのいい場所に大砲が設置されていたはずだ。とすると私だったらここに大砲を設置する!と思えたのは

 浦戸台場跡

ここと、

 浦戸台場跡

ここ。さらに、なんといっても見晴らしが良く大砲を設置するのに最高だと思えたのは……

 坂本龍馬像(桂浜)

やっぱりこの位置だった。

 浦戸台場近くの鉄骨が埋め込まれた岩

岩に埋め込まれたままの無数の鉄柱だかなんだか。幕末には建材に鉄骨を使うなんてことはなかったように思えるから、戦前の軍隊施設の跡かしら。

浦戸地区には回天および震洋の格納庫の跡があると、桂浜 – Wikipedia に書いてあるけど、この鉄柱跡がそれなのかどうかはわからず。

ちなみに、桂浜にはなぜかアシカ舎があってアシカが飼われていた。。昨夜の鳴き声の正体はこれだった。

あとは高知城

 高知バス 浦戸集落あたり

バスで高知市街地に戻る。浦戸の狭い路地をギリギリ縫うように走るバスが最高。

 はりまや橋(旧)

明治 41 年架橋の昔のはりまや橋。

現在のはりまや橋(歩行者用)は平成 5 年に「全国から寄せられたイメージをもとに」架けられたもの。これが「ガッカリ名所」といわれる原因でないかな。

はりまや橋の名を全国に轟かせたのは、「男はつらいよ」に登場した昭和 33 年架橋の朱塗りの橋。

寅さんファンは映画に登場した本物の橋が見たいだろうし、歴史ファンは観光用の新しい橋なんかどうでもいい。どちらにも訴求しない。

明治の橋が残ってるだけ、救いはあると思うけど。(私は見逃したけど寅さんに出た橋も地下道に保存展示されてるらしい)

 土佐電気鉄道(路面電車)

路面電車のある街ってうらやましい。

 高知城 国宝(旧国宝)指定記念碑

高知城到着。この碑は旧国宝(現在は国の重要文化財)に指定されたときのもの

 高知城 追手門

追手門。このあたりで、無料ロッカーも使用禁止だし変だな……と思ったら、年末休暇に突入していたのだった。

したがって、現存 12 天守のひとつである高知城天守にも、本丸御殿で現存してるのは日本でふたつ、それも完全な形で残ってるのは高知城だけと言われる懐徳館(本丸御殿)も入れないんですと。

あああああああああああああああああなんのために長時間かけて高知まで来たんだかああそうですよ休館日を調べなかった私が悪いんですよでも大晦日と元日ならともかく現存 12 天守が 28 日にもう仕事納めしてるとか普通思わないじゃないですか県の運営でしょ行政機関の仕事納めは 29 日からじゃないですかうわあああああああああああっ

 高知城にて

このときの筆者の内面を表現した写真

 高知城 天守

遠くから見てるだけでもいいのクスン……

 高知城 黒鉄門

この門の先に入れてくれー

 高知城 本丸御殿と天守を鉄砲狭間から

この狭間の先に行かせてくれー

 高知城

キツネ「あの城はすっぱいにちがいない」

……というわけで、泣く泣く高知城を後にした。もう一度こなければならないと思うと気が重い。次は浦戸城・浦戸台場をスルーできるのが救いか。

ふたたび土讃線でえっちらおっちら来た道を戻る。

 ごめん えきお君  ごめんがゲシュタルト崩壊

後免駅。いいえ。休館日を調べなかった私が悪いんです。ううう。

 フラフラフラくん

なんつーかユルいとかを通り越して「ヤバい」

 アンパンマン列車  アンパンマン列車

食パンマンが酷使されすぎ。

 大歩危駅 祖谷のかずら橋の模型

大歩危駅、祖谷のかずら橋模型。本物も見たいんだけど時間がね……

 丸亀城の方向

そんなこんなでさらば四国!また来るからな高知城!今回はこのへんでかんべんしといたるわ!

 「土佐藩探索御用役が見た幕末」ポスター

ところでこの、「土佐藩探索御用役が見た幕末」展のポスター。 どう見ても龍馬が中岡慎太郎を盾にしてるようにしかwww

おしまい

広告
広告
広告

ここはシェアと拡散の店だ。どんな用だい?

さっそくフォローしていくかい?

広告
広告

このブログを書いた人間/サイト管理者

桝田道也(ますだみちや)
桝田道也(画像)

もっとくわしく→このサイトと筆者について | 桝席ブログ http://www.masuseki.com/wp/?page_id=3178