2014~2015 宮崎に帰省中に行ったところ

2014~2015 帰省中に行ったところ

今年は滞在日数も少なかったので遠出してません。しかもアッサリ目の、ちょっと行ってみただけの訪問。

鹿野田神社

海幸山幸の神話の山幸彦が持ち戻った潮満玉・潮涸玉をご神体としている、それマジで言ってんのマジなら神体だせ総力をあげて平伏すが……な神社ですわ。
 鹿野田神社

  鹿野田神社(かのだ神社)|宮崎県西都市
  http://www.pmiyazaki.com/jinjya/kanoda_j/


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ここの湧き水が塩分を含んでおり海水のようにしょっぱく、海から 12km も離れているのに海の干満に合わせて井戸の水位が上下することから、上記の神話と結びついたか、あるいはこの湧き水が元になって神話が生まれたか。

不思議なことに、本当に海とつながってるのか科学的な調査がなされたことがあるのかないのか、とんと聞かない。

参拝客の飲用の井戸。
 鹿野田神社

井戸の周辺から塩水が沁みだして結晶化してたりする。海とつながってそうな感じはする。
 鹿野田神社

井戸に気をとられて樹齢 450 年の御神木にはまるで気付かず。

スマホしか持っておらず良い写真が撮れなかった。
 鹿野田神社

佐野原聖地

なんと神武天皇が生まれた地だと言い伝えられている、佐野原聖地。
佐野原聖地

  佐野原聖地(さのばるせいち) – 観光情報|宮崎市観光協会
  http://www.miyazaki-city.tourism.or.jp/tourism/spot/51.html


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まあ、単なる言い伝えなので国の特別史跡などにもなってない。

行ってみたら小さな社があるだけの、まさに聖地という感じだった。別の言い方をすると、何もないというか。
佐野原聖地

神秘的な雰囲気は申し分なかったです。すぴりちゅあらーなひとならぱわーをえられるのではないでしょおかー。

一ツ葉稲荷神社

九州人なので元日には三社参りするのです的に、二社目として一ツ葉稲荷神社へ。
一ツ葉稲荷神社


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近くにイオン宮崎ができ、元日から初売りやってるので、二十年前より参拝客が増えた。
一ツ葉稲荷神社

この蛙股を見に来た。手ブレしてしまったが。
一ツ葉稲荷神社

江戸時代、この地域を大津波が襲ったとき、白兎が現れて津波をけっとばして守ったおかげで、神社は無事に流されずにすんだのだとか。それを蛙股に彫って祀ってあるわけだ。

地元なので何度か来たことがある神社だけど、この白兎の蛙股は今年の新聞で初めて知ったので、見に行った次第。まあ、歴史マンガを描く以前は寺社建築に興味もなかったしね。

  一葉稲荷神社(ひとつばいなりじんじゃ)|宮崎県宮崎市
  http://www.pmiyazaki.com/jinjya/hitotubainari_j/

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世界最大のハナガカシ

新年の新聞に載ってたので見に行った。
福瀬神社のハナガカシ(宮崎県日向市)

  世界一のハナガカシ [詳細案内] | 一般社団法人 日向市観光協会
  http://www.hyuga.or.jp/kanko/view/20


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日本にしかない、日本でも珍しいハナガカシの自生地が日向市の福瀬神社境内にあるのだという。 中でも最大のハナガカシは日本最大の大きさであり、つまり世界最大なのだとか。それなんてツンタク?

幹回り 5m30cm ってことは、直径 1m70cm くらい。ハナガカシとしては世界最大ではあるが、巨樹のくくりで言えばそれほどではない。

葉が長いからハナガカシなのだけど、行ったときは深く考えず「花ヶ樫」とかであろー、などと考えていた。したがって特徴的な葉っぱをズームで撮ってない。

さて、ハナガカシが自生している福瀬神社は、まあ村の鎮守。(言い伝えでは)歴史も古く、鳥居は渋い。
 福瀬神社(宮崎県日向市)

しかしなぜかポップなカラーリングの奥社。
 福瀬神社(宮崎県日向市)

注連縄はビニール製。いや、いいんだけどいいんだけどー。
 福瀬神社(宮崎県日向市)

若山牧水生家

福瀬神社からほど近い場所にあり、私は行ったことがなかったので寄らせてもらった。
 若山牧水 生家

歌碑などもあり。ただし正月のため内部には入れず資料館なども休み。

日向国 高城城

前から行きたかった城。両親は以前にこの城址公園の下まで来たものの、車で登る道がわからず徒歩はしんどそうだったので引き返したそうな。今年はスマホがあったので車で曲輪に来るわ、なんちて。

主郭は現在は公園化。
 日向国 高城城跡(宮崎県)


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  日向・高城城(城郭放浪記)
  http://www.hb.pei.jp/shiro/hyuuga/takajyo-jyo/

九州の関ヶ原とも言われる高城川の戦い(別名:耳川の戦い)の際にも、秀吉の九州攻めでも落ちなかったので堅城として有名……という話だけど。

地形をみりゃわかる通り、どうしても攻略する必要がある城というわけでもなさそう。いくらでも迂回路がある地域だ。

斜面は急角度であるけれど、郭は大きなのが二つある程度の、そう大きな規模の城ではない。
 日向国 高城城跡(宮崎県)

いずれの場合も、「落とせるなら落としたいが多大な犠牲を払って落とすほどではない」というのが攻め手の判断だったのではなかろうか。

さて、上記サイトでもウィキペディアでも、なぜ合戦の場所が高城川なのに、耳川の合戦と呼ばれているのか、その理由として敗走する大友軍が増水した耳川を渡れずそこで討ち死に・溺死したからだとしている。

でも、私が以前なにかで読んだ記事では、土地勘のない大友側の記録者が高城川(小丸川)と耳川を間違えたからだ、としていた。私もその説に立ちたい。

  佐土原城 遠侍間 -高城の合戦(天正六年)-大友記に曰く耳川の合戦
  http://www.hyuganokami.com/kassen/takajo/takajomenu.htm

こちらのサイトでも、そのように書いてある。そして大友側の記録では耳川での追撃戦がどのようなものであったか書いてないのだそうだ。

耳川は高城川(小丸川)より 20km 以上、北にある。そんな長距離の追撃戦が実際にあったのかどうか。

なにより、薩摩は釣り野伏せと呼ばれる戦法で敵が追撃してくるよう誘い出し、伏兵で囲い込んで殲滅するという作戦をとったばかり。次に自分たちがそういう目に遭わないともかぎらない、と当然に思考したはず。正直、 20km もの追撃をしたとは考えにくい。

……が、自分で大友記を読んだわけでもないので、ウィキペディアに[要出典]つけたろ、とは思わない私なのでした。

主郭は公園化されているけど、虎口の屈曲は確認できる。
 日向国 高城城跡(宮崎県)

見てのとおりの櫓風展望台。この程度の史実に沿わない天守風建物なら腹も立たない。
 日向国 高城城跡(宮崎県)

 日向国 高城城跡(宮崎県)

景色よし。高城川(小丸川)もよく見える。

今年はこんな感じでした。宮崎もメジャーなスポットはたいがい行ってしまってるので、高鍋大師クラスのおもしろ物件が新たに発掘されてほしいというのが今年の桝田家の願いでありました。

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