近世大名は城下を迷路化なんてしなかった_バナー



[寺社] 寺社はどこだ

この記事どう? ええよ~

 金森稲荷神社(江東区南砂5-23)

この記事は、単独で記事を立てるほどでもないお寺や神社を紹介するための記事です。ときたま更新します。

この記事内では新しく書かれたものほど、上になります。

日記から転載した部分が含まれるので、サイト内に重複する記事があるかもしれません。

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もしかして城址?と思って行ってみた 鶴ヶ丸八幡神社(埼玉県川口市)

この項へのパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=289#TsurugamaruHachiman

訪問日は 2016-10-29。
鶴ヶ丸八幡神社

このころは休日のママチャリおでかけにふさわしいスポットを探して Google Map を頻繁に眺めていました。
そこで見つけた鶴ヶ丸八幡神社なる文字列。
なぬ?「丸」? これはもしかして城址だった可能性がある?

……て、そんなに簡単に未発見の城址が見つかってたまるかいっべらぼーめ!
とは思ったものの、自分の思い付きには誰だって甘くなるもの。

検索したら、本殿は県指定の文化財にも指定されてることだったので、この日のママチャリ遠征の最初の目的地として訪問したのでした。

到着。
鶴ヶ丸八幡神社

用水路。もしかすると当時の堀跡かもしれないという希望的観測。
鶴ヶ丸八幡神社

虎口に見えなくもないという希望的観測。
鶴ヶ丸八幡神社

いちおう食い違ってはいる。
鶴ヶ丸八幡神社

しかし「近世大名は城下を迷路化なんてしなかった」ことを明らかにした2023年の私は、当然ながら「虎口は防衛のためにわざと食い違いを設けた」についても若干の疑念を抱いているのであります。

食い違いによって横矢をかけることが可能になるのだから、それを知った戦国期の武士が意図的に食い違いを設けたのは間違いないでしょう。

ただ、山城を築き始めた最初から、その知識があったのでしょうか?
最初期には、単に不定形な平坦地に合わして曲輪を作ったら結果的に食い違いが生じただけ、という可能性が高いでしょう。

だとすれば、食い違いがあることが城址であることを保証しません。
寺も神社も農地も不定形な平坦地を作ります。
防衛目的の土塁ほどの高さではなくとも、低い土塁で平坦地を囲って雨で辺縁が崩れるのを防ぐというのは、これまた武士じゃなくてもやるでしょう。
とすれば、その低い土塁は不定形な平坦地の形状に合わせて食い違いが生じることがあったはずです。

つまりは、食い違いがあるからといって、城址であるとは言えないのです。

が、訪問時の 2016 年の私はそんなところまで考えが及んでないので、
「いちおう食い違い虎口はあるなあ。もしかするともしかするとー」
などとウキウキしたのでした。

拝殿?
鶴ヶ丸八幡神社

県指定の文化財になっている本殿。
鶴ヶ丸八幡神社

雨から文化財を守るため屋根の下におさめられています。
鶴ヶ丸八幡神社

鑑賞しにくいということは言えます。でも、しょうがない。
鶴ヶ丸八幡神社

土塁っぽいものはあるけど、武士じゃなくても土塁は作るんですよね……。
鶴ヶ丸八幡神社

丘陵にはなってるけど、丘陵だから城址だとは言い切れません。
鶴ヶ丸八幡神社

非常時に「村の城」の代わりを果たす役目があったかもしれませんが、そういうのを「城址」と言っていいのかどうかは疑問です。

城郭研究界隈は城下町の端の丘陵地に大き目の寺社があると、
「非常時の出丸だったのである」
と決めつけますが、これまた私は疑問視しています。

特に寺(仏教)は教義として平和を掲げているわけですから、有事に出丸として使わせろと言われてハイワカリマシタとはならねえと思うんですよ。
本当にそういう目的があったのであれば、当然に契約書があってしかるべきと思いますが、そういう契約書があるという話を私は知りません。

丘陵とは言っても、比高 5m くらい。
鶴ヶ丸八幡神社

縁起由来を説明版から引用すると、
“寛永3年(1626)芝村の代官熊沢三郎左衛門尉藤原忠勝が、房州(現 : 千葉県南部)の鶴ヶ谷八幡神社の分霊を勧進したことに始まる”
とあります。

城郭クラスタに属する私は「丸」と聞くと曲輪だと思って城址ではないかと疑ってしまったんですが、「丸」には囲まれた一地域の意味もあって、地名に「丸」がついてても、必ずしも城郭用語の「丸」であるとは限らないのですね。

ふつうに考えて「鶴ヶ谷八幡神社の分祠がある丸(丘陵一帯)」がいつしか「鶴ヶ丸」になったのでしょう。

というわけで、当時の私ですら
「やっぱここ城址だと言える証拠はないな……。ま、そんなもんだよなー」
と結論したのでした

でもまあ、雰囲気の良い神社ですよ。県指定文化財もあるわけですし。
鶴ヶ丸八幡神社

イギリス積みの神輿庫 佃島住吉神社(東京都中央区)

この項へのパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=289#TsukudaSumiyoshi

訪問日は 2016-08-13。
佃島住吉神社のレンガ造り神輿庫

これまた、分類に困る案件だ。将来、国の登録有形文化財入りする可能性は高いと思うが、私が訪問した時点では文化財指定はないらしかった。だから史跡エントリでは扱わない。

住居ではないので、古民家エントリもちがう。

ということで、しかたなく土木エントリに収録しようと思ったけど、写真を自分のウェブアルバムに上げるときに、「Japanese Archtechture」なる大カテゴリがあることに気づいた。そこに、寺社という中カテゴリもある。

なら、しかたがない。これは神輿を入れる倉庫だ。神社エントリはいまいち違う気分であるが、結局、どのエントリでも違和感が残るのだ。

しかし、神社の神輿庫とはいえ、Japanese Archtechture に入れていいのだろうか?

というのも、見ての通りレンガ造り、それもイギリス積みだからだ。
佃島住吉神社のレンガ造り神輿庫

形自体は伝統的な日本の蔵の形である。

建てられたのは明治も終わりに近い43年。大正モダンの先取りだったのかもしれぬ。 寺社建築もハイカラやってみたいの空気だったのか。

平成23年には、東日本大震災で破損したという。ということは、大正期の関東大震災は耐えたのか。

ちなみに旧神輿庫、とあったので、いまは神輿は別の倉庫らしい。
佃島住吉神社のレンガ造り神輿庫

佃島の住吉神社境内には、他に五代川柳の句碑や、鰹供養の鰹塚などがあった。

昭和19年、陸軍が造営…ということは? 気象神社 (東京都杉並区)

2016-05-21

この項へのパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=289#kishoujinja

気象神社。杉並区にある日本で唯一の、お天気専門の神社だ。
気象神社

昭和19年、帝国陸軍によって造営された。したがって、もともとそんなに歴史がある神社でもなければ、社も腐食が激しくなったため平成15年に建て替えられた。古建築としての魅力はない。

だいたい、昭和19年だ。昭和19年と言えば、敗色濃厚になってきたころじゃないか。そんなときに、陸軍の気象部が、近代科学を学んだであろうエリートたちが、大真面目に神社を作っているというね。

きっと神風が吹いて勝つ……じゃねえ!俺たちの手で吹かせるんだ!神風をな!てか。

神国日本の幻想に踊らされていたのは末端の兵士・国民だけじゃなくて、幹の中心からズブズブだったという話。そりゃ戦争、負けますわ。

そしてもちろん、神風なんか吹かず、戦争に負けたのであるから、御利益なんかなさそうな神社である。しかし、歴史が浅いのが幸いしたか、GHQの調査から漏れ、撤去をまぬがれ、払い下げられ現在に至るというから、自分を守る程度の神通力はあるようだ。

まあ、御利益があるかないか、パワーだのスポットだのは私の眼中の外のことなのでどうでもいい。

ただ、このゲタを模した絵馬は素晴らしい。
気象神社

歴史が浅くとも、御利益があろうとなかろうと、この絵馬には一見の価値があった。
気象神社

深川最古のコンクリ鳥居 八名川稲荷神社 (東京都江東区)

2016-05-21

この項へのパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=289#yanagawainari

江東区の区指定文化財である、深川では現存最古の記銘のあるコンクリート製鳥居を見てきました。

八名川稲荷神社(江東区) コンクリート造鳥居 昭和11年在銘

  →文化財・史跡等/建造物/コンクリート造鳥居 昭和11年在銘
  http://www.city.koto.lg.jp/sisetsu/13401/13474/15074.html

江東区新大橋3-1-4

大きな地図を表示

ただの歪んだ四角形が昭和の「昭」と読める!人間ってすごい!
八名川稲荷神社(江東区) コンクリート造鳥居 昭和11年在銘

深川の記銘のあるコンクリ鳥居では現存最古、であって、日本最古のコンクリ鳥居ではない。現存最古のコンクリ鳥居はどこにあるのか、調べてもわからなかった。

桜島の埋没鳥居。これがコンクリ製。
桜島埋没鳥居

埋没させた桜島の大噴火が 1914年(大正3年)だから、すくなくとも最古のコンクリ鳥居は、1914 以前にまで遡れることは確かだ。

日本最古のコンクリ電柱(函館)。関係ないか。
日本最古のコンクリート電柱

御影石の砕石を貼り付けてコンクリっぽさを隠すテクが生まれてた程度の新しさ。
八名川稲荷神社(江東区) コンクリート造鳥居

御影石の砕石はあとから足したのかもしれないけど。

控えめな賽銭箱だけど、それでも賽銭ドロが後を断たないようだ。
八名川稲荷神社(江東区) 賽銭箱

賽銭ドロの多さを物語る忍び返し。神社っぽくない。心が安らがない。
八名川稲荷神社(江東区)

お堂の写真はないけど、いいよね?(←いいか?)

鳥居がH形鋼! 金森稲荷神社 (東京都江東区)

2015-10-26

この項へのパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=289#kanamoriinari

 金森稲荷神社(江東区南砂5-23)

鉄工所などが奉納した手前の鳥居がH形鋼(I型鋼かもしれないが、私には判別できない)が面白かった。

  金森稲荷神社(東京都江東区南砂 5-23)
  http://www.openstreetmap.org/#map=18/35.6756/139.8343

  OpenStreetMap | 変更セット: 34884030
  http://www.openstreetmap.org/changeset/34884030

通りから巨樹が見えたので寄った 梅岩寺(東京都東村山市)

2015-11-27

この項へのパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=289#baiganji

梅岩寺 山門

2010 年の日記に記事を書いている。都の天然記念物の大ケヤキ、市の天然記念物の大カヤ、市の有形民族文化財の新・四国石仏などがあった。大カヤが良かったな。シュッとしてた。冬だったのでケヤキが落葉してしまっていたというのもある。2010-11-27。

  →11/09 巨樹または奇樹の訪問ログ»梅岩寺の大ケヤキ | 桝席ブログ

  OpenStreetMap | 変更セット: 34884030
  http://www.openstreetmap.org/changeset/34918433

2010-12-06

境内の手押しポンプ。神社はなぜか多いですよね、手押しポンプ。(追記 2022-12-30:おそらく、災害時への備えとして行政が設置を支援または依頼しているのでしょう)
梅岩寺 手押しポンプ

四国霊場八十八箇所を廻ってられない人のための、新・四国石仏。ここに参拝するだけで同じ功徳が得られます、だそうな。
梅岩寺 石仏

2chまとめサイトみたいなもんか(←たとえがひどい)

世が世なら四国から営業妨害・商標無断使用・著作権侵害で訴えられるレベル。

梅岩寺 本堂

またこいつは水平もとれないでプププ…とお思いでしょうが、ちがうんです!ちがうんです!柱の垂直はとれてるのがわかりますか?本堂が参道に対して、ちょっと斜に構えているんです!うえーん。

数年に一度は初詣に行く生目神社 (宮崎県宮崎市)

2015-11-02

この項へのパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=289#ikimejinjya

 生目《いきめ》神社 (宮崎県宮崎市)

宮崎のパワースポット(笑)めぐり – 桝旅 に記事があるので 2008 年にも訪れているが、この写真は 2005-01-03 のもの(この項目は 2015-11-12 に書かれた)。

生目神社 – Wikipedia 。藤原景清(源平討魔伝の主人公だ!)のえぐりだされた目を祀っているとかなんとか。正月には屋台が2~3軒出る程度に信仰の厚い由緒ある神社。

  生目神社 – OpenStreetMap
  http://www.openstreetmap.org/?mlat=31.91831&mlon=131.37681#map=17/31.91831/131.37681

  OpenStreetMap | 変更セット: 35031349
  http://www.openstreetmap.org/changeset/35031349

通りがかった東圓寺(埼玉県朝霞市)が良いお寺だった

2012-12-05

この項へのパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=289#toenji

所用で朝霞市に行った帰りに、東圓寺というお寺があったので寄ってみたら良いお寺だった。 スナップ用のカメラしかポッケに突っ込んでおらず、写真はアレだけど。

平安時代にはすでに開山していた古寺…らしいが、 そのときは何の事前知識も無かったので、
「お寺だー、ちょっと見ていこう」
くらいの気持ちでぶらり。

 東圓寺(埼玉県朝霞市)

参道。

 東圓寺(埼玉県朝霞市)

山門。

 東圓寺(埼玉県朝霞市)

本堂。

 東圓寺(埼玉県朝霞市)

不動の滝へと続く道。

 東圓寺(埼玉県朝霞市)

山城を思わせるような境内。

すぐ近くに、朝霞市の岡城址(城山公園)があった。 歴史は東圓寺の方が古いのだろうが、 戦国時代には城の出丸のような役目を担わされていたのかもしれない。

 東圓寺(埼玉県朝霞市)

不動堂。

 東圓寺(埼玉県朝霞市)

弁天堂。

目玉(?)である、不動の滝の写真は撮らず。

市指定文化財の東圓寺の板石塔婆というものがあるらしいのだけど、 説明板はあっても、肝心の板碑らしきものは見当たらず。 帰宅後、検索しても出てくるのは説明板の写真ばかりで、板石塔婆そのものの写真は見当たらないので、ふだんは別の場所に大事に保管されているのかもしれない。 もちろん、見落とした可能性も高いが。

謎な瓦 板橋双葉氷川神社

2012-07-12 頃

この項へのリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=289#hutabahikawa

武蔵国は氷川神社がやたらと多い。

 板橋双葉氷川神社

 板橋双葉氷川神社

 板橋双葉氷川神社

 板橋双葉氷川神社 手押しポンプ

錆びた手押しポンプ。かつての井戸→手押しポンプ取り付け→使用停止……だろうか。

 板橋双葉氷川神社 瓦の展示

無造作に瓦が展示されていた。

レリーフ付きの平瓦を作ったものの、 「しまった!平瓦だと下から見えない!」 と気が付いて、しかたなくこうして展示している、のではないかと想像した。

色からしてアルミ瓦かな?と思ったけど柵の向こうで近づけず、不明。

なりますのすがわら 板橋成増菅原神社

2012-05-19 頃

この項へのパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=289#narimasusugawara

 成増菅原神社(東京都板橋区)

Open Street Map で見る

かつての成増村の鎮守であった、菅原神社。

成増の菅原……なりますのすがわら……

なりはら博士だーっ!

あ~るの春合宿で成原博士が菅原大明神風に出現するのは、これを踏まえてだったのか、たまたまなのか……(成原博士の名前の由来は、あ~る君のモデルにもなった同級生のアダ名「成増の原人」から、だったと思う)。まあ、たまたまでしょうな。

 成増菅原神社(東京都板橋区)

 成増菅原神社(東京都板橋区)の樹木

巨樹というほどではないが、なかなかの枝ぶり(追記:2016-04-18:残念ながら 2015 に伐採された)

見晴らしが良い。他に何を望むことがあろうか 豊川稲荷神社 (埼玉県和光市)

2007-11-18

この項へのパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=289#wakoshitoyokawainari

和光市白子豊川稲荷神社

2007-11-18 年の日記に記事がある。

  →11/19 小刹 | 桝席ブログ

こじんまりとした、見晴らしの良いというだけの神社である。しかし、こじんまりとしていて見晴らしが良い。これ以上、何を望むことがあろうか。……という、この神社の雰囲気に魅了された人が何人かいるようで、検索するといくつか記事が見つかる。私は気づかなかったが、江戸時代の石仏があったらしい。家から近いし、いずれ再訪するでしょう。

和光市白子豊川稲荷神社

  豊川稲荷神社 – OpenStreetMap
  http://www.openstreetmap.org/?mlat=35.78918&mlon=139.63003#map=19/35.78918/139.63003


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