たわわなタワー

高い建物には抵抗し難い魅力がある

高い建物は、なぜか私を惹きつける。樹上生活をしていたご先祖の記憶が、われわれサル族が生きるべき世界は地上ではないと訴えているのだろうか。……というような話の枕はともかく、このエントリでは単独記事にするほどではない塔や高楼や高層建築の写真を貼っていきます。ときたま更新します。

この記事内では新しく書かれたものほど、上になります。

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東京立正中学高等学校の五重階段(東京都杉並区)

この項のパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=8840#risshochukou

夕暮れの少し前で斜光だったからか、うっとりするほどかっこよかった。
東京立正中学校・高等学校の五重階段(杉並区)

東京立正中学校・高等学校の階段だ。うっとりするほどかっこいいと言ったが、帰路を急いでいたせいで、写真はこの一枚きり。

このときは蘆花恒春園を見物した帰り。なんとなく北上してればそのうち見知った幹線にぶつかるわい、と細い路地をママチャリで進んでいた。

五重とはいえ、遠くから見つけて
「お!なんかある!行ってみよう!」
となるようなものではなく、つまりは、運が良かった。

ちなみに建学の精神・理念によれば、
「五重塔を建てるよりも、学校をつくって人間の塔を建てよう」という誓願と決意をもとに設立
だというが、結局、校舎より高い五重の階段が、塔のような階段が建てられたという。

わけがわからない。

と、なんかブログのために茶化した感じのことを書いてますけど、本気じゃないので、怒って解体撤去とかは絶対にやめてほしい。まさかそんなことはないと思うけど。

うそ偽りなく心から、かっこいい!自分の学校にもこんな階段ほしかった!と思ったので。

野火止浄水場高架水槽(埼玉県新座市)

この項のパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=8840#nobidomekoukasuisou

灰色のコンクリ地色がむきだしの方が私の好みであるが、こういうパステルトーンでベターッと塗ってしまうのが埼玉県らしいと思えなくもない。
野火止浄水場高架水槽(新座市)

なんだか失礼な偏見を述べてしまった気がする。埼玉県民は私に向かってくたばれレイシストと叫んで、許してほしい。

建物名の確認のためにストリートビューを見たら、反対側にもうひとつ高架水槽ができてた。造形は異なっていたが、装飾の方向性はおおむね同じであった。

朝霞消防署浜崎分署(埼玉県朝霞市)

この項のパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=8840#asakahamasaki

屋根の反りが仏教寺院建築の多重塔っぽくて面白い。
朝霞消防署浜崎分署(朝霞市)

高灯篭(香川県琴平町)

この項のパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=8840#takatourou

琴平にある灯篭。明治以前の木像灯篭としては日本最大。国の重要有形民俗文化財。br /> 高灯篭(香川県琴平町)

琴平町と言えば、海の安全を守る神様である金刀比羅宮、通称こんぴら様だ。

高灯篭もまた、航海の安全を守るためのものであるという。

  >高灯篭 | 観光スポット | こんぴら へおいでまい | 古き良き文化の町ことひら 琴平町観光協会 
  http://www.kotohirakankou.jp/spot/entry-96.html

  >高灯籠 | 琴平町で楽しむ情報 | 琴平町役場
  http://www.town.kotohira.kagawa.jp/pages/556

なるほど、海の安全に対して意識の高い琴平町らしい……と思ったが、直後に
「いやまてよ?はて?」
と疑問を抱いた。

地図を見ればわかるが、琴平町は海から 10km も離れた内陸の町だ。瀬戸内海が見渡せる山頂にあるこんぴら様が海の神様なのはいい。が、ふもとの、高さ 27m の灯篭が、海を航海する船人の役に立つものだろうか?

このときは、疑問を宿題としてそのままにしたが、いまはゆっくり調べる時間がある。さあ、解いてみよう。

この灯篭、讃岐の国で砂糖業を営む上野甚左衛門が発案し地元の琴平の人々の協力で寄進されたそうだ。 琴平での中心人物は茶屋を営む岡田通五郎という。

しかるに、海で働く人々が必要に迫られて建てたものではなさそうだ。むしろ、琴平で観光業を営む人々が観光の目玉として建てたものではないかと私は推測する。茶屋が繁盛すれば、茶菓子(砂糖をふんだんに使う)も売れるのだ。

高灯篭は丸亀の海まで光が届くように設計されたというが、琴平と丸亀を直線で結ぶと、その途中には如意山(158m)や鉢伏山(99m)がある。これでは高さ 27m の灯篭の光は隠れて見えない。

かりに 10km 先まで光が届いたとしよう。江戸時代は電灯のない時代だから、考えられないことではない。だが、地形に遮られずに海から見えた可能性があるのは多度津あたりの、角度で言えば琴平から見て北北西に3℃~5℃の、限られた範囲だけだ。

これでは、とても、航海のための施設だと考えることはできないのではないか。

そもそも、現代人の我々が高灯篭と灯台を混同してしまう点に問題がある。私も混同した。

だが、高灯篭と灯台は似てるようちがう。

中世の日本人はめったなことでは夜の航海をしなかった。加えて、陸の見えなくなるほど沖へ出る航海もしなかった。 菱垣回船が夜を通して沖を航海するようになったのは江戸時代後半になってからだ。 (そして灯台はなく、鎖国のため方位磁石や六分儀の普及も遅れていたたため、漂流民が続出した。有名な大黒屋光太夫も回船の船長である)

かがり火で夜の漁をするのは沿岸漁業であり、常夜灯台を必要とする航海というようなものではない。 航海のための常夜灯台が日本で設置されるようになったのは、明治以後なのだ。

したがって、江戸時代人にとって、高灯篭に航海のための目じるしの意味はない。お寺や神社の灯篭や流し灯篭と同じく、単なる屋外照明で、かつ神様に清浄な炎を捧げるための設備でしかなかったはずだ。

靖国神社のそばにも大きな高灯篭(常燈明台)がある。明治4年に建てられたものだ。これは靖国神社に祀られた兵士たちを鎮魂するために建てられた。常夜灯であったため、目的外使用として品川沖を行きかう船から灯台としても役に立ったが、本来は鎮魂のための施設だ。

琴平の高灯篭が常夜灯であったという記述はない。毎夜、点灯するとは限らないのでは、目じるしとしての機能は低いことになる。

つまり、琴平の高灯篭は大きいから灯台のように思えてしまうけれど、やっぱりこれは信徒が神社に灯篭を奉納するというやつの、ひときわお金のかかったバージョンでしかないと思う。

……ちなみに上の写真を撮った 2013 年末にはそんな深いことも考えず、そもそもこの高灯篭にそれほど感銘を受けず、撮った写真も一枚きりだった。

そもそも電車待ちのため琴平で一時間半ほど時間があいたのでブラブラしただけである。このときの私は破れたペーパバッグの代わりがどこで買えるのか、あまり美味しくなさそうだが琴平名物の『灸まん』を買うべきかどうか、そんなことで頭がいっぱいだった。

  >18きっぷで高知城に行ったら天守と御殿は休館日だった | 桝席ブログ
  http://www.masuseki.com/wp/?p=203

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