名勝と国宝城の絶景。木曽川と犬山城

二度目の訪問となる犬山城は木曽川の対岸から

犬山城 木曽川右岸より 2017 年 8 月

訪問日は 2017-08-13。

犬山城。

訪れるのは二度目だ。

  >国宝四城を3日でまわる(後編) | 桝席ブログ

はじめて訪れたときは、うかつにもデジカメの予備バッテリを忘れてしまい、あまり枚数を撮れなかった。

また、本格的な城めぐり旅行の最初であって、城の見方もよくわかってなかったし、ペース配分もわからない状態での三日目だったため、ヘロヘロで、ろくに見れていなかった。、

つまり、撮りこぼしが多かったのだ。特に、白帝城の別名や日本ラインの別名で世に知られる、木曽川越しに見る犬山城を見なかったのは痛恨のミスだった。

そんなわけで、犬山城は一度行ってるけど再訪したい城、自分の中でのランキング第一位だった (ちなみに第二位は、同じ日に行った彦根城で、理由もほぼ同じである。 ただ、彦根城の方を先に行ったので、バッテリも体力もまだ余裕があった)。

2017 年、二回目の訪問ではデジカメのバッテリも十分。体力的には夏の旅行の四日目で、まあそれなりにアレだったが、さすがに経験を積んでペース配分ができるようになってたので、なんとか。

ちなみに今回は今回で、また撮り逃しがあったので、いつか3回目行くリスト第一位に入ってしまった。

前回訪問時は名鉄犬山駅で降りてお城に向かった。地理をよくわかってなかったので、犬山に行くには犬山駅だろうと簡単に考えたからだ。

あれから8年、わたしも知恵がついた。JR鵜沼駅で下車して犬山駅まで 1km ちょっとだという知識も得た。18きっぷ旅行なので、JRだけで完結するというのは、とても大きいのだ。 高崎線経由だと、それはそれで時間ロスじゃね?というのはもっともだが、そこまで時間が重要なら、そもそも18きっぷで旅行しない。

なにより、鵜沼駅からだと、前回に見逃した
「木曽川越しの犬山城」
が確実に目に入る。

名鉄犬山駅から城下町を楽しみながら犬山城へ行くルートと、鵜沼駅から木曽川を楽しみながら犬山城へ行くルート。どちらも素晴らしく、両方を見るのが正解だ。が、時間の都合でどちらかしか選べないなら、木曽川ルートをおすすめする。

木曽川越しの犬山城という名勝があってこその国宝だと、実感した今回の旅行だったからだ。

鵜沼駅の跨線橋。新築だ。
鵜沼駅 空中歩道

跨線橋を渡ったところで『→空中歩道』なる看板を見つけ、
「えっ!そんなものあるの?見たい!てか、見逃した!?」
と焦った。なんのことはない、今わたってきた跨線橋のことだった。 すばらしい跨線橋だけど、さすがに窓がでかいぐらいで『空中歩道』は大きく出すぎだい。

その空中歩道より。大きな窓は、もちろん犬山城を見せるため。
犬山城 鵜沼駅空中歩道より 2017 年 8 月

まっすぐ犬山城に向かうつもりだったか、鵜沼城なる城の存在を知り、朝飯前の行きがけ駄賃のデザートは別腹的に、寄り道した。

鵜沼城 – 日本の城址柵、碑城址柵 | 桝席ブログ

まことに絶景、木曽川対岸からの犬山城

鵜沼城見物も終え、さっそく木曽川右岸を下流方向へあるいていく。
犬山城 木曽川右岸より 2017 年 8 月

鵜沼駅から犬山城へ向かうだけなら、犬山ツインブリッジをさっさと渡って左岸をくだるほうが近い。が、それでは、対岸からの犬山城をちょっとしか楽しめない。 右岸をくだって、犬山ライン大橋から左岸へ渡るルートで見てこその犬山城だ。

こんな絶景なら、ついつい土手から河原まで降りるというものよ。
犬山城 木曽川右岸より 2017 年 8 月

リフレクション。
犬山城 木曽川右岸より 2017 年 8 月

いま、犬山頭首工が完成して、このあたりの景色が多少、変わったであろうことは先にブログに書いた。

犬山頭首工 – ザ・ワールド・ドボクシング | 桝席ブログ

とはいえ古写真を見ると、犬山頭首工ができる前から、その場所に自然石による堰があり、水量の多い時期なら湖面のような淵になっていたのがわかる。 その堰が自然地形なのか、中世人が人為的に自然石を積んだ簡易なロックフィルダムなのか、私は知らないのだけれども、ともかく、渡し船が航行できるような場所だったにはちがいない。

してみれば、ここは尾張の軍が美濃に攻め入るための足掛かりの場所となる。 犬山城は徹頭徹尾、美濃を前にした、前線の城、境目の城にほかならない。

とすると、犬山城の木曽川に面した側には美濃に出撃するための出撃路があったはずだ。
犬山城 木曽川右岸より 2017 年 8 月

出撃路は裏を返せば、敵の進入路になりうる。だとすれば、犬山城の断崖、見た目ほどには堅固ではなく、渡河して攻め込んだ信長の作戦はまっとうなものだったのかもしれない。

なにかの看板。登って、あそこまで行くのが面倒だったので行かなかった。
看板には「日本ライン」と書いてあるらしい

ストビューで確認すると、『日本ライン』と書いた看板であった。行くべきだったかもしれない。 看板があるということは、そこが絶景である証なのだから。

犬山城の真後ろ(美濃に正対する城と見れば、真ん前)から。
犬山城 木曽川右岸より 2017 年 8 月

城見橋。
城見橋

あいにく、陽が射したり翳ったり。このときは曇りのターン!
犬山城 木曽川右岸より 2017 年 8 月

晴れのターン!
犬山城 犬山ライン大橋より

2017 年 7 月 12 日の落雷で鯱瓦が片方、破損していた。あるいみ、めったに見られない犬山城。
犬山城 犬山ライン大橋より 2017 年 8 月

お亡くなりになったのはメスの鯱っぽい(たぶん)。
犬山城 落雷で欠けた鯱 2017 年 8 月

犬山頭首工からのパノラマは、たしかにこの景色こそ犬山城の白眉!といった素晴らしさだったが、同じ写真を何度も貼るのもパケットのムダなので、ここでは割愛しよう。

二度目の登城

木曽川を渡って、2009 年にも見た景色を目にし、思い出がよみがえる。
犬山城 かつての二の丸と三の丸のあいだの堀切

前回は、バッテリ節約のため、撮らなかった。
犬山城 登城口

いまなら見た瞬間にかつての堀の跡だとわかるけど、はじめての城訪問旅行だった当時は何も感じず、素通り。
犬山城 かつての二の丸と三の丸のあいだの堀切

古地図によれば、この先に馬場があった。河原は船着き場だったことだろう。すなわち、この空堀と堀切を兼ねた堀底道が出撃路であり、同時に渡河して来る敵の進入路だったにちがいない。
犬山城 かつての二の丸と三の丸のあいだの堀切

ちなみに、かつての松の丸に建つ三光神社がやたらと「近道」アピールをしてくるが、ほとんど変わらないので無視してよろしい。
犬山城 地図 powered by OSM
“(c) OpenStreetMap contributors”

自動車で三光神社と針鋼神社の間の駐車場に停めた人なら、たしかに針鋼神社に直登するとちょっとだけ近くなるが、ほんのわずかな距離だ。おまけに江戸時代以前に存在したか疑わしい道でもある。普通に登城道を進むとよい。

もちろん、かつての松の丸や桐の丸の跡なので、城址遺構を鑑賞する目的で三光神社・針鋼神社へ行くのはアリだろう(私は前回も今回も、時間の都合で、ほぼ素通りしただけだった。次回への宿題である)

大手道。ところどころにあるベンチは姉妹都市、日南市からの寄贈の飫肥杉ベンチ。
犬山城 登城道

8年たてば説明板も充実する。 初代藩主、成瀬正成の弟・成瀬正武の妻が飫肥藩(のちの日南市)の主代藩主・伊東祐兵の娘なんですな。正武が切腹(理由は一般に不義密通とされるが、不明瞭。大久保長安事件との関連を指摘する声も多い)させられたのち、子らは母の実家である伊東氏を頼り、その縁での姉妹都市なのだそうだ。

8年前は個人の所有だった犬山城も、相続税の重圧には耐えられず、現在は財団法人の所有に変わった。そのおかげか、お城ブームのためか、2009 年 より説明板も充実していた。 と。

説明板は充実していたが、不満もある。上面図、縄張り図の類が見当たらないのだ(見逃した可能性はある)。

私が見かけたのはこれだけで、これはこれでわかりやすいが、やはり上面図もほしかった。
犬山城 推定復元図

しかたがないので、古地図を見よう。
犬山城 古地図

犬山城はその曲輪に、(本丸に近い順に)杉の丸、樅の丸、桐の丸、松の丸と名前をつけていた。 なかなかの数寄心だ。

特に、樅の丸は登城道をはさんで、杉の丸・桐の丸の反対側にあり、犬山城の縄張を特徴づけている。 単純な連郭式の城ではないのだ。

近世城郭になる前は、桐の丸と樅の丸、樅の丸と杉の丸が木橋でつながれ、攻められたら左右の曲輪を使い分けて応戦したのかもしれない。 (古地図は江戸時代のもので、そのような連絡通路は見られない)

が、神社や受付棟が立ってしまった杉の丸・桐の丸・松の丸に、なんとなく目がいかず、鑑賞がおろそかになってしまった。これも次回への宿題だ。
犬山城 登城道

おまけに樅の丸にいたっては、2009 年も 2017 年も一枚も撮っていなかった。 なぜなのだろう? ネットで調べているうちに、なんとなくわかった。

現在、樅の丸は成瀬さんの自宅の敷地になっているらしい。私は、民家だと思ってカメラを向けなかったのだろう。

現在の大手門。復元ではなく、模擬門(実際には存在しなかった建物だが、観光地化の一環でつくられたなんちゃって門)だ。
犬山城 大手門(模擬門)

どーん。唐破風がカイゼル髭を思わせる、威風堂々とした素晴らしい天守だ。オンリーワン。
犬山城 天守 2017 年 8 月

ロンブー敦氏がいちばん好きと言うのも納得である。

本丸には御神木、大杉様が存在する。詳細は下記のエントリに記した。

巨樹の幹に奇樹の枝 | 桝席ブログ

 

七曲門を見なければならぬ

そのまますぐ、天守には向かわない。そのまえに見たいものがあった。 杉の丸・樅の丸・桐の丸・松の丸をおろそかにしても見たいものが。

七曲門跡だ。
犬山城 七曲門跡 2017 年 8 月

そう、今回の犬山城の再訪において、私にはひとつ、テーマがあった。

犬山城の、断崖絶壁側の通路跡を見る、である。

犬山城が、美濃勢との戦いのために築かれた城であることは、先に述べた。 つまり、この城にとっての戦略的な「前」は美濃方面なのだ。どこの城もそうであるように、犬山城も木曽川を天然の堀として、断崖を天然の高石垣として、仮想敵の方向を堅固にした。

  >犬山城(愛知県犬山市)の見どころ・アクセスなど歴史観光ガイド | 攻城団
  https://kojodan.jp/castle/3/

1537年に、織田信秀の弟・織田信康がもともとあった砦を修築して、今の犬山城の基本形を作ったとされる。 織田信秀は信長の父であるから、つまり、信長の叔父さんである。 このとき、信長の父、信秀は美濃の斎藤道三と交戦中にあり、信康も兄の信秀に従軍していた。 したがって、北西の美濃勢に対する迎えの城として、自然な選地であった。

ところが、あまりにも断崖絶壁すぎた木曽川に突き出た、三方が崖となった岩山の上の砦であるがゆえに、たとえ戦略上の「前」が北西であっても、主郭の出入り口は南に作るしかなかったのである。馬の足は平原を走るために進化しており、急斜面の登り降りは苦手なのだ。

こういう、戦略上の広域視点での「前」と、部隊の出入り口としての狭域視点での「前」が一致しない城は、けっこう多い。 段丘に築かれた城は、えてしてそうならざるをえないとさえ言えるのではないか。

だが、信秀が死に信長が跡を継ぐと、犬山城に変化が生じた。 叔父である織田信康は、うつけで名高い甥の信長に臣従することを潔しとしなかったのだ。

ここで、犬山城の戦略上の「前」が尾張へと変わり、本来の防衛線、堅固な要害である断崖絶壁と木曽川が「後ろ」へ変わった。

その後、本能寺の変で信長が死ぬ。台頭した秀吉と織田の同盟だと自負していた家康が対立し、小牧・長久手の戦いが勃発する。 ここでもまた、犬山城は秀吉の拠点として、木曽川を「後ろ」とした城として使われた。

犬山城が
「木曽川に背後を守られた、後ろ堅固の城」
と呼ばれるようになったのは、こうした経緯による。 しかし、本来は木曽川を「前」とした選地の城である。 背水の陣という言葉があるように、背後の川は、すなわち撤退できないことを意味する。 軍事拠点として見れば、好ましい状態とは言えない。

信長と信康が戦ったとき、あるいは小牧・長久手の戦いのときに、 「撤退できない城」
として兵たちは少なからずが動揺したことだろう。動揺を少しでも鎮めるために、苦肉の策として
「後ろ堅固の城」
と、指揮官たちは喧伝したのではないか。

というのが、
「犬山城は後ろ堅固の城」
というキャッチフレーズに対する、私の考えだ。

さて。

犬山城が、本来、対岸の美濃に対峙する城だったならば、断崖絶壁を降りて出撃する道が存在したはずだ。馬は急斜面を苦手とするが、ヒトの先祖はサルである。4本足の動物には難しい木登り、崖登りができる。階段やはしごを作る知能もある。

出撃路は裏を返せば、侵入路になる。断崖絶壁を登ってくる敵を迎え撃つ曲輪もあったことだろう。

美濃が敵ではなくなり、尾張方向がこの城の「前」に変わった時、歴代城主は背水の陣という欠点をを放置はせず、 断崖絶壁を降りる道は退路として維持したにちがいない。

その痕跡が残るのが、この、七曲門跡なのだ。

門の跡から、門の外方向。四角形ではないが、外枡形もしくは出丸だとわかる。
犬山城 七曲門跡 外枡形 2017 年 8 月

外枡形から七曲門跡を見る。渡り門にするには左右の敷地がせまい。高麗門形式の桝形内門だったのではないか。
犬山城 七曲門跡 外枡形より見る 2017 年 8 月

この外枡形に、なにか名称があったのかどうか。そのような説明板はなかった。
犬山城 七曲門跡 外枡形 2017 年 8 月

現在、この外枡形より先には行けない。おそらくここに薬医門形式あたりの小さい枡形外門があったことだろう。七曲道の最上段の敷石が見えるが、その先はうずもれて道が見えない。
犬山城 北側登城道の跡 2017 年 8 月

江戸時代には、たしかにここにイロハ坂の路があった。実際に7回曲がっていたのか、それとも通称に合わせて絵師が律儀に7回曲げて描いたのか、はたして。
犬山城 古地図の北側登城道

いま、七曲道の通行が禁止になってる理由は明確ではないが、ひとつには崩落の危険があるためだろう。
犬山城 北側登城道の跡 2017 年 8 月

通行こそできなかったが、
・曲輪(もしくは枡形)として十分な広さのあるスペースを確認し、このスペースが出撃にも防衛にも使用可能だとわかった
・七曲道の一部は確認できた
・おそらく馬は通行できない、歩兵用の道だと思われる角度と道幅
などがわかり、まずまず満足した。

以前より残念なユーザ体験となった天守

天守に登る前に、ぐるりとめぐる。残念ながら一周はできない。
犬山城 天守付櫓 2017 年 8 月

意外にも、狭間が無い。江戸期に入っての改修で、幕府に逆心ないことを示そうと、とっぱらってしまったのだろうか。
犬山城 天守 2017 年 8 月

ただし石落としはある謎。
犬山城 天守 2017 年 8 月

つけ櫓。明治24年の濃尾地震で壊れたらしい。内部の説明に「今度前の姿に復元された」とあったが、「こんどっていつや?」と思った(おそらく1961年~1965年の解体修理時であろう)。
犬山城 天守付櫓 2017 年 8 月

浜松城ほどではないけど、犬山城の石垣も表情ゆたかで良い。
犬山城 天守石垣 2017 年 8 月

前回、バッテリ切れでろくに撮れなかったのを取り返さんとばかりに撮りまくる私
犬山城 天守 2017 年 8 月

この方向からがかっこいい犬山城天守なのだけど、観光客が多く、いつまでもこの場所に留まっていたら迷惑なので、一枚きり。
犬山城 天守 2017 年 8 月

これは数少ない 2009 年の写真。今回、この位置からの写真を撮ってないと不思議に思ったけど、天守から本丸を眺めて理由がわかった。
犬山城 天守 2009 年 10 月

↓これは 2009 年。
犬山城 天守からの眺望 2009 年 10 月

↓これは 2017 年。緑が深くなっているんだ!
犬山城 天守最上階からの本丸 2017 年 8 月

2009年の訪問が 10 月で、2017 年は 8 月だったってだけではないと思う。

城址公園化で、よかれと思って植樹して、天守が見えないとクレームがつき、伐採したら伐採したで、観光のために人間の都合で樹木の命をうんたらかんたら言われる。むつかしいね。

ようやく天守内部へ。
犬山城 天守石垣内一階 2017 年 8 月

天守の一階・二階とは別に、石垣内部に一階・二階がある。地下でもないし、どうファイル名をつけるべきかいつも悩む。
犬山城 天守石垣内二階 2017 年 8 月

創建当初の犬山城の天守は二階建て(石垣内部の二層を含めて四層構造)で、三階と四階は江戸時代の初期に増築されたと言われる。個人的には一階・二階部分も相当に手が加えられたと推測する。もし、現存最古の天守の可能性があると言われる犬山城の、本当に創建当初そのままの部分があるとしたら、この素朴な造りの石垣内部一階と二階であろう。

天守一階では 2017/7/12 の落雷で破損した鯱瓦がさっそく展示されていた。転んでもタダでは起きず。
犬山城 2017 年 7 月の落雷で破損した鯱瓦

つけ櫓内部。女の子のポーズがかわいい。
犬山城 天守付櫓 2017 年 8 月

狭間もないし石落としもないし、本当、この付櫓の意味がわからん。 窓の多さ、高い位置の窓なんかは、採光と通風・換気のための設備に思える。 平和な時代になって増築された、単なる宿直室ではなかろうか。

上段のの間。主君の居間だったらしい。なら、それっぽい家具でも置いたらどうかと思う。
犬山城 天守一階 上段の間 2017 年 8 月

天守に住んだのは信長だけとお城の雑学本で読んだことがあるが、読者ウケ狙いで書かれた、裏取りのいいかげんな豆知識のようだ。

ちょっとだけ住んでみるけど、やっぱり居住性の悪さから御殿に引っ越したというのが、多くの大名にありがちなパターンだったのではないか。

上段の間は猿頬天井であると説明があったが、猿頬天井とは何かの説明はなし。
犬山城 天守一階 上段の間 猿頬天井 2017 年 8 月

ようするに、天井を支える竿縁の下半分がちょっと面取りしてあって、断面形状が猿の顔の(毛のない部分の)輪郭に似てるんだそうな。

なんてくだらない差別化。身分制のない時代に生まれて本当によかった。

天守二階。武具の間。なら、武具を置いたらいいのにと思う。
犬山城 天守二階 武具の間 2017 年 8 月

これに関しては何度でも、どこの城でもいうけど、その城にいるあいだ、よその城のことはどうでもいいし、考えたくもない。
犬山城 天守二階 武具の間 2017 年 8 月

長年、犬山城が個人の所有だったせいかもしれないが、天守内の展示品は、犬山城は、正直、あんまりなのであった。

上棟と書いてあった。棟札か、祈祷札でも収められているのだろう。
犬山城 天守二階 棟札か 2017 年 8 月

中世の日本建築なので、階と階の間に屋根裏部屋というものがない。床板の隙間から下が見える。高所恐怖症にはオススメできない天守。
犬山城 天守二階から一階が見える 2017 年 8 月

これは逆に言えば、努力次第で下の階から上の階の人のおパンツが見れるかもしれんいうことやからね!

天守二階。天井が高い。
犬山城 天守二階 天井が高い 2017 年 8 月

これは、犬山城が望楼型天守であるため。

天守には望楼型と層塔型というふたつの形式がある。層塔型がその名の通り、相似形の各階をハノイの塔のように積み重ねていくタイプ。望楼型は、層塔型より古い形式で、簡単に言えば、入母屋建築の上に入母屋建築を建て、さらに……というやり方で作られた高層建築だ。

望楼型は底面が正方形でなくてもよかったり、職人のカンでなんとかなったりするというメリットもあったのだけど、特に大きな問題としては、外観の重数と内部の階数が一致せず、ある階の天井が高すぎるとか、窓が適切な位置に来ないという問題があった。

犬山城の場合、大きな二階建ての上に小さな二階建てを増築した形になっている。
犬山城は望楼型天守

この状態で、一階に裳階をつけたので外観三重、内部四階の天守になったのである。

天守三階。唐破風の間。なんだお前ら。ここは夕日のさす川原の土手か。
犬山城 天守三階 唐破風の間 2017 年 8 月

破風の間。こちらには入れない。なぜなのか。
犬山城 天守三階 破風の間 2017 年 8 月

ヒビ割れた柱にカスガイと言えば松江城が有名だけど、犬山城にも少し。
犬山城 天守三階 かすがい 2017 年 8 月

うってかわって天井が低い天守三階。
犬山城 天守三階は天井が低い 2017 年 8 月

このへんで薄々感づいていたけど、この日は観光客が多かった。 2009 年の 10 月に来た時には、天守最上階にいるのが自分と係の人だけって瞬間もあるほどだった。 日曜日と平日、夏休み中とそうじゃない時期の差か。 お城ブームは本当だったのか。 ロンブー敦の影響力か。 よくわからんけど、とにかく、天守最上階はごったがえしていたのであった。

下から見たとき、気づくべきだった。
犬山城 天守 廻縁は混雑 2017 年 8 月

2009 年のときは、こんなに↓すいてたのに。
犬山城 天守最上階 2009 年 10 月

前に来たときは
「わ~、絨毯が赤い~」
と喜んだのに、その絨毯に目がいかないほどの混雑。

しかたなく、自然と、視線は上に行く。

初代藩主。
犬山城 天守最上階 歴代天守 2017 年 8 月

からの~……
犬山城 天守最上階 歴代天守 2017 年 8 月

第12代。なんとなくジュウシマツ和尚感ある。
犬山城 天守最上階 歴代天守 2017 年 8 月

あ!赤い絨毯をしいたの誰かわかった!なんかわかっちゃった!写真を見てピーンと!

そして最上階からの景色は、8年前と変わらず最高だった。
犬山城 天守最上階からの木曽川 2017 年 8 月

木曽川を渡っていくムクドリだかなんだか。
犬山城 天守最上階からの木曽川 2017 年 8 月

↓ちな 2009 年。
犬山城 天守からの眺望 2009 年 10 月

ただし、景色は 2009 年と同じでも、感激まで同じではなかった。 混雑のため、立ち止まることが許されず、歩き続けるよううながされたからだ。

したがって、今年の訪問では 2009 年に感じた、風の気持ちよさや欄干の低さや廻縁の微妙な傾斜からくる怖さの記憶がない。

こればっかりは仕方がない。混んでないときに来るしかというほか、ない。

しかし、犬山城が天守一点突破ではなく、たとえば七曲道が復元されていたり、天守二階の武具の間がもっと充実してたりして、最上階に人が集中しない仕組みになっていれば、あるいは……と思わずにはいられなかった。

ようするに、今回の天守最上階でのユーザ体験は、ちょっぴり、残念だったのである。

さあ、降りるか。
犬山城 天守最上階の階段 2017 年 8 月

ふたたび天守二階。宝石のように美しい節穴。
犬山城 天守二階から一階が見える 2017 年 8 月

節穴から天守一階が見える。
犬山城 天守二階から一階が見える 2017 年 8 月

これは逆に言えば、努力次第で下の階から上の階の人のおパンツが見れるかもしれんいうことやからね!

ゆっくり景色を楽しむのは、二階のまどからでもいい。最上階にこだわる必要はない。
犬山城 天守二階からの木曽川 2017 年 8 月

デジスコするわけじゃないけど、単眼鏡はもってきていた。
単眼鏡を持って行ってた

なにが見えるというわけでもないけど。
犬山城 天守二階からのモンキーパーク観覧車 2017 年 8 月

うおおー、なんだこの漆喰の汚れ!国宝やぞ!
犬山城 天守二階の壁 2017 年 8 月

あ、わかった。原因、わかっちゃった。
犬山城 天守二階の壁 2017 年 8 月

よーし!崖下を見て帰るか!

そろそろ、時間が押してきたので、杉の丸・樅の丸・桐の丸・松の丸・三の丸の鑑賞はすっとばして、最後の目的地へ。

三光神社と針鋼神社をつなぐ自慢の近道も利用。
犬山城 針鋼神社から駐車場への近道

前回は、ここを右に曲がって犬山駅に向かった。今回は左に曲がり郷瀬川沿いを進む。
犬山城 公園橋 2017 年 8 月

古い石垣が見える。こういう部分を見たがるようになってこそ一人前だ(なにが?)
犬山城 郷瀬川 2017 年 8 月

断崖の露頭。節理が見える。
犬山城 郷瀬川 2017 年 8 月

犬山のあたりの岩石はチャートが多いそうだ。いわゆる堆積岩だ。

  >チャート (岩石) – Wikipedia
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%88_(%E5%B2%A9%E7%9F%B3)

ある程度、コンクリ護岸されてしまっているが、水量や流速は、400 年の昔とそうは変わらないだろう。 天然の堀としての木曽川が派手で目立たないが、犬山城の丘陵の北東を流れて木曽川に注ぎ込むこの郷瀬川、なかなかの濠である。

彩雲橋。たしか昭和前期に架橋された、ちょっとした近代土木遺産だ。橋の下の華奢なアーチが美しい。
犬山城 郷瀬川と彩雲橋 2017 年 8 月

木曽川への合流部分の、この迫力よ。
犬山城 郷瀬川と木曽川の合流地点 2017 年 8 月

名勝木曽川の碑。石垣は、明治~戦前の観光施設の名残のようだ。
犬山城 名称木曽川の碑 2017 年 8 月

断崖絶壁。崩落・落石しないよう、金網だのなんやかや。
犬山城 北側の絶壁露頭 2017 年 8 月

このあたりに来たのは他でもない、さっきの七曲道の調査の続きだ。

七曲門跡が絶壁の上の出入り口なら、絶壁の下の登城口もあったはずだ。それが見たかった。

古い石垣が見えた。あるいはここが登城口だったかもしれないし、無関係の屋敷の土台かもしれない。パッと見ただけではわからなかった。
犬山城 北側の斜面 石垣の痕跡 2017 年 8 月

あとから古地図を見ると、登城口は自分の想像より、やや西だった。下調べが不十分だった。

竪堀か、自然地形か?といぶかしんだ、この谷間が七曲道だったのかもしれない。いまや草木が生い茂り、夏の状態では見てもわからない。
犬山城 北側斜面 竪堀か? 2017 年 8 月

登城口は見つけられなかったけど、この絶壁が見られたから満足だ……と思って、ここで引き返した。
犬山城 北側の絶壁露頭 2017 年 8 月

この判断が、今回の犬山城訪問での痛恨のミスだった。行くべきだったのだ、このカーブの先に。

いま、ストリートビューでこのカーブの先にすすむと、トンネルが現れる。岩盤を手掘りで堀ったとおぼしき、素朴で荒々しい、マンパワーあふれる素敵ドボクだ。これは、生で見たかった。

さらに古地図を見ると、この先が馬場であり、おそらく船着き場として利用された河原もそこにあったのだ。

美濃方面への出撃の城としての側面が見たくて、七曲道にこだわったのに、馬場と舟入を見なかったのでは竜頭蛇尾ではないか。

予定の時刻通りに駅に戻ったので、この日の午後、もうひとつ観光地を鑑賞できたのだけど、このカーブの先に手掘りトンネルと馬場・舟入があったと知っていれば、午後の予定を犠牲にしてもよかった。それだけの価値があった。

これまた、次回の宿題だ。

そんな大きな見逃しをしでかしたことなど知る由もなく、ホクホク顔で鵜沼駅への帰路を歩く私だった。
木曽川 左岸 2017 年 8 月

木曽川左岸。ふりかえっても街路樹が邪魔して犬山城天守は見えないので、まっすぐ駅へ。
木曽川 左岸 2017 年 8 月

河原まで降りれば犬山城が見えたと気づいたのは、ツインブリッジを渡り始めてから。疲労は思考力を蝕む。
犬山城 犬山橋より 2017 年 8 月

ともかく、バッテリ不足で欲求不満ばかりが残った前回の雪辱は果たせた。良い夏になった。
犬山城 犬山橋より 2017 年 8 月

鵜沼駅の空中歩道から。朝は「空中歩道?大きく出すぎだい」と思ったが、帰りには「空中歩道、いいね!」と思うようになっていた。なにごとも、気分次第だ。
犬山城 鵜沼駅空中歩道より 2017 年 8 月

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桝田道也(ますだみちや)
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