単独記事を立てるまでもない史跡の訪問ログ

この記事は、単独で記事を立てるほどでもない小さな史跡を紹介するための記事です。ときたま更新します。

この記事内では新しく書かれたものほど、上になります。

日記から転載した部分が含まれるので、サイト内に重複する記事があるかもしれません。

ページ内ジャンプ

広告
セブンネット 
楽天ブックス 
紀伊国屋 
Amazon 
honto 
ヨドバシ.com 

お城擬人化マンガ販売中

阪本天山屋敷跡(長野県伊那市高遠)

2010 年に高遠城を見に行った時のもの。いま、古い写真の整理中なのだ。
阪本天山屋敷跡

ネットの情報によれば、井戸跡が残っているらしい。私は帰りがけにいかにも生活道らしい狭い歩道へ入り込んでみたら、説明板があったので、とりあえず撮ったというだけ。正確な場所は覚えていないが、高遠交番の裏だということ。

阪本天山は周発台という日本初の旋回砲台を発明した砲術家・学者。殖産や治水にも功績があった人らしい。失脚して蟄居を命じられているが、簡単に検索した限りでは失脚の理由はわからなかった。彼の砲術は辞書によっては、”西洋砲術に唯一、通用した和式砲術”などと書かれている。

  >坂本天山(サカモトテンザン)とは – コトバンク
  https://kotobank.jp/word/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E5%A4%A9%E5%B1%B1-509203

残念ながら、ライフリングのある西洋の大砲と滑空砲のままだった日本の大砲では、射程が10倍以上ちがう。とてもじゃないけど「通用した」と言えるレベルだったとは思えない。距離が 100m 以下での砲撃戦ならば互角だったかもしれない。が、それは逆説的に、そんな特殊な状況を想定してやらないと互角にならないということだ。

旋回と仰角が自在に設定できる周発台が発明されたのが大砲の伝来から 200 年くらい後。 この事実が、日本の大砲にとって、旋回や細やかな仰角設定を要しない、つまりそれが活用できるほどの射程がなかったことを物語っている。

でもまあ、野暮なことはいいなさんな、てことかもしらんね。

阪本天山屋敷跡

書けば高遠藩の恥になるから婉曲に表現されてるが、結局のところ阪本天山は強引に隠居させられて、蟄居が解けた後もなんらかの指導者として高遠藩から雇用されたりはせず、別天地で活躍したということだ。

周発台は高遠町歴史博物館にあるらしい。私は見ていない。私は何しに高遠城まで行ったのか。お城めぐり初期によくあることだが、私もこの時期、天守風のなんちゃってコンクリ建造物を嫌悪していたので、入りたいと思わなかったのだ。
高遠町歴史博物館

巨大な空堀や藩校や高遠閣など、他にみるべきものがたくさんあった。時間が惜しかった。……と思って、絵島囲み屋敷を見逃したのだから、浅はかだったというほかない。

もう一度、高遠城に行く理由ができてよかったじゃないか、自分。そのもう一度がいつになるかわからんけど。

なお、阪本天山屋敷跡はポータルになっている。

阪本天山屋敷跡 Portal in Takatō Nagano Japan | Ingress Intel
https://ingress-intel.com/portal/%E9%98%AA%E6%9C%AC%E5%A4%A9%E5%B1%B1%E5%B1%8B%E6%95%B7%E8%B7%A1/

猿楽町住居跡公園(東京都渋谷区)

訪問日:2013-03-17

かつてここには古代人の住居があり、消え、復元され、焼失した。
猿楽街住居跡公園

つまり、ここで古代人の生活の痕跡が見つかったわけだ。縄文人や弥生人の土器やらなにやらの破片が。

それを知った地元住人は、これは目玉になるわい…と、ほくそえんだのだろうか。古代人の住居を作り、猿楽町住居跡公園を作った。

しかし、二年後には焼失した。軽く検索してみたら、放火という(当時の)噂を聞いたというページがあったが、伝聞は伝聞だ。公式には失火か放火かは書いていない。

復元されたのは弥生式住居だったという。
猿楽街住居跡公園

だが。

発掘調査では、他の地域で見られる住居跡よりも大型で珍しいものもあったという。

しかし、現在残る砂を抜かれた砂場のような竪穴を見ると、とても、そのような巨大な弥生式住居が復元されていたようには思えない。むしろ、縄文的な柱一本の、我々が古代人の住居と聞いて真っ先に想像するステレオタイプなやつがあったのではないかと……

ネットでは昭和の写真が見つからなかったので、好き勝手にほざいている私。

そんなことを思ったのも、未練がましく展示してある復元のつもりらしい民具を見たからだ。
猿楽街住居跡公園

弥生時代に、こんな精度のたかい木製食器があるかい。綺麗に整った刃の鍬があるかい。先割れ刃の備中鍬があるかい。柄を自然木にすれば古代の道具になるわけじゃねえぞ。古代と中世をごっちゃにすんない。古いもんはみんな同じだと思いやがってよう。

というわけで、トホホな公園としてぶらっと通り過ぎるぶんには、なかなか悪くない史跡だと思うわけです。

なんちゅーか、古代より昭和について考えてしまう、そういう史跡公園でした。

猿楽町住居跡公園 – OpenStreetMap

和泉町ポンプ所(東京都千代田区)

訪問日:2013-02-24

この項のパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=28#izumipump

たまたま通りがかって、
「お!赤レンガやんけ!」
と反応し(条件反射)、とりあえず写真は撮ったどー、のパターン。
和泉町ポンプ所

関東大震災を耐え抜いた、大正11年に建てられた鉄筋コンクリートのポンプ所だ。
和泉町ポンプ所

古い建物であるが、2016 年9月現在、行政からの史跡認定、文化財指定はされてないようだ。

ポンプ所。あたりまえだが、下水は重力を利用して高い方から低い方へ流している。自然の摂理に反するような無駄なことはしない。 したがって、下水は下流の方ほど低く(深く)なっていく。当然、そのままでは処理場などに送れないので、ところどころにポンプ所を設置して、くみ上げるというわけだ。
和泉町ポンプ所

ちなみに、現役で働いている。見学施設ではないので、中に入ってポンプを見ることはできなかった。 ポンプはさすがに当時のままではあるまいが。
和泉町ポンプ所

え?鉄筋コンクリート?レンガ造りじゃないの? ……そう、建物は古くなっったのでレンガ貼りに外観補修されたらしい。
和泉町ポンプ所

ちなみに、周囲に残る塀や付属建物は本物のレンガ。タイルの方はまだ新しくて味わいがないが、あと 10 年もすれば馴染んでくるだろう。
和泉町ポンプ所

周囲に本物のレンガ塀が残っていたから、建物の外観を合わせたのか。
和泉町ポンプ所

となると、タイルが貼られる前の状態を見たいものだけど、残念ながらネットの上では見つけられなかった。

  >一般社団法人 千代田区観光協会 > 観る > 歴史的建造物 > 和泉町ポンプ所
   http://www.kanko-chiyoda.jp/tabid/1400/Default.aspx

神田和泉町のランドマーク的存在でありながら、都指定文化財も都市景観重要建築物も受けていないのは、たまたまなのか。あるいはレンガ風タイルによる外観補修が理由で低評価を食らってしまったのか。

私も、どちらかといえば、そういうフェイク的な外観補修は好きじゃない。が、通りすがりにレンガっぽいのが見えなかったら、はたして立ち止まって近づいて鑑賞しただろうか?とも思う。いたしかゆしだ。

ましてや、和泉町ポンプ所は現役のポンプ所だ。そこで働く人たちが、小奇麗な外観の建物で働きたい。だから予算の範囲内で目的に合うよう外観補修する……というのを、止めることはできない。

近くのマンションから。
和泉町ポンプ所

びょーんびょーん。
和泉町ポンプ所そばのマンションで撮影

弥生式土器発掘ゆかりの地(東京都文京区)

訪問日:2013-02-24

この項のパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=28#yayoishikidoki

たまたま通りがかって、石碑を見た。
弥生式土器発掘ゆかりの地

【 弥生式土器発掘ゆかりの地 】

文京区、根津へ、ヘナヘナ迷い込んだあたり。
「そ-なのかー」
と空虚な感想以外、なにも出てこなかった。無。びっくりするくらい、無。
「おおお、ここがあの、教科書に載った弥生式土器の……」
とか、そういう気持ちが一切わいてこないという。

それが技術的にひとつのターニング・ポイントであったことは疑いようがないけれど、変で不便そうでオリジナリティだけはやたらめったある縄文式土器にくらべて、味も素っ気もなくて、つまらんもんな>弥生式土器。
「薄い!軽い!無駄がない!」
という 2000年前のモダン・デザイン。

あれかね。バウハウスは実は間違っていたということで、ひとつ(そんな!)

弥生の由来。

そもそも、弥生という地名は明治維新後の地名だという。縄文時代は土器に縄の文があったからでわかりやすい。しかし弥生時代は、最初に土器が発見されたのが東京都の弥生だった、というだけであって、名前と内容が結びつきにくい。土器から縄の文様が消えたのだから『つるぺた土器』だの『つるぺた時代』だのと呼べばよかったのだ。

しかし、言ってもはじまらない。土器の総称は地名からとられ、地名は水戸斉昭の歌碑からとられた。彼は、この地にあった水戸藩の江戸中屋敷に石碑を立て、

ことし文政十余り一とせといふ年の やよいの十日 さきみだるさくらがもとに かくはかきつくこそ

名にしおふ春に向ふが岡なれば  世にたぐひなきはなの影かな

と彫ったのである。万葉や平安の時代の有名な和歌ではない。水戸徳川家の先祖の詠んだ和歌でもない。

斉昭が!本人が!自分の詠んだ和歌を!わざわざ石碑にした!…のだ。

書画の自画自賛は珍しくなかった時代だけど、さすがに自分の和歌を自分で碑にしちゃうようなお茶目さんは江戸時代でも珍しかったのではなかろうか。

だが、後世に伝わる斉昭の人柄を知れば、いかにもそういうことをやりそうな人なのだ。草を禁じえない。

ちなみに、和歌の意味は、私にはよくわからなかった。

そして、「弥生」は和歌の部分に入っていないのを知り、どういうこっちゃねん?とぼやく私。 なにも、「この和歌は何年の何月に詠みました」の部分から、地名をとらなくてもよさそうなもんだが。

すみからすみまで「御一新」でなければならぬという明治政府の空回りが見て取れるようだ。

うん、とくに何も感じない史跡でも、話を膨らませようと思えば、なんとかなるもんだね。

弥生式土器発掘ゆかりの地 ―OpenStreetMap

本多作左衛門重次墳墓(茨城県取手市)

訪問日:2016-09-01

この項のパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=28#onisakuza

まだ朝日がまぶしい早朝に訪問。運よく迷わずにすんだけど、取手市のページにある Google Map 上の指定は 20m ばかし間違っていた(2016-09-11 時点で確認)し、案内板はあるのだけど、目立たず、しかも UI が悪くてかえって迷いかねない、あまりよくない案内板だった。

AM 6:25。お日様は顔を出したばかり。逆光すなわちバックライト・ディスプレイ イン リアルワールド。
本多作左衛門重次墳墓

正面からは逆光になるので、斜めから失礼させてもらう。
本多作左衛門重次墳墓

本多重次 – Wikipedia。通称、鬼作左。ウィキペディアでは通称の由来を剛邁で怒りやすいのでなんて、ただの短気な脳筋みたいに書いてて、いかがなものかという。

当時の俗謡に
「仏高力、鬼作左、どちへんなきは天野三兵」
とあるので、奉行としての振る舞いから鬼と呼ばれたのかもしれない。

いやいや、そうではなくて、すでに鬼と呼ばれるほど武勇に秀でていたからアダ名が鬼になり、そこから俗謡が生まれたのだ、とも考えられる。

まあ、アダ名なんてものはひょんなことから決まるものだから、由来を気にしてもしかたあるまい。

「鬼武蔵(森長可)」「鬼柴田(柴田勝家)」「鬼五郎左(丹羽長秀)」あたりを見て、うちにも鬼が欲しいなァと思った家康が
「よし、作左衛門。お前は今日から鬼作左だ!」
と、ウルフ高橋みたいな決まり方をしなかったと、誰に言えようかいや誰も言えまい。言えまいと言い切れるだろうかいや言い切れまい。

なんでわざわざ、ここへ寄ったかというと、それはまあ単なる寄り道なのだけど。

一筆申す 火の用心 お仙痩さすな 馬肥やせ かしく

原文ママだとこうなるらしい(本多重次 – Wikipedia)。一筆啓上で始まる、一般に膾炙している文とは、だいぶ印象が変わってしまう)。この、日本一短い手紙で有名な、お仙が、のちの初代丸岡藩藩主の本多成重。

本多成重が丸岡城の改築その他に、なにか関与したということはないのだけど、ともかく藩祖である。一筆啓上と言えば丸岡藩。丸岡藩と言えば現存十二天守のひとつ丸岡城。

とすれば、本多作左衛門重次墳墓は丸岡城の関連史跡ではないと、誰に言えようかいや誰も言えまい。言えまいと言い切れるだろうかいや言い切れまい。

……程度のこじつけで、いちおう城クラスタの人間として見ておこうかと立ち寄った次第。

昭和九年。1934 年。この史跡を示す石柱自体が、あと 20 年もすりゃ 100 歳になるというね。
本多作左衛門重次墳墓

閘門橋(東京都葛飾区)と二郷半領猿又逃樋(埼玉県三郷市)

訪問日:2016-08-30

この項のパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=28#koumonbashi

こういうものがあるとは知らずに、通りがかりました。おっ!と思ったらすぐに止まって見物できるのがチャリ旅行の良いところ。

閘門橋(二郷半領猿又閘門)

閘門橋。もともとの名は二郷半領猿又閘門。閘門というからには、つまり、水位を調整するロックゲートだったわけですな。

明治 42 年に完成。1980 年に大場川水門が完成し、車道橋としても併走する葛見橋ができたので本来の役目を終えた。現在は歩行者・自転車用橋として利用されている、と。

土木学会の選奨土木遺産になっている。

閘門橋(二郷半領猿又閘門)

説明版によると、都内でも貴重なレンガアーチ橋だとのこと。銅板鋳造レリーフと思われる説明文の数文字が、あとからむりやり削って消した跡があったので、 おそらく最初は「都内唯一の」などと書いていたんだろうなと思った。

どうも葛飾区、水元公園の説明版にも”東京都でただひとつの「水郷」と呼ぶにふさわしい公園”と書いちゃったり、大丈夫か?そんなこと言って。いろいろカドが立つぞ……と心配せずにいられない。

で、この閘門橋。上流側と下流側でアーチの数が違う、という面白構造があると知ったのは、帰宅してこのエントリを書くために先述の土木学会のページを読んでから。

こんなブロンズ像なんて要らないから、もっと説明板を、さあ……。
閘門橋(二郷半領猿又閘門)

こういうの、もう、ほんと、やめて。
閘門橋(二郷半領猿又閘門)

しかし、ものは言いようというか、説明版には、
改修にあたって、レンガのアーチ部分は原形のままとし、橋面上の修景にとどめました
なんて書いてるんだから。ンモー。

なんなの?居直り?全部壊さなかっただけマシだと思え?むしろアーチ部分は手をつけなかった俺をもっとほめろ、みたいな?

史跡は現状維持が基本原則。手を入れるのは損壊の怖れがある部分や事故の起こりかねない部分だけが望ましいってことを、義務教育で教えてほしい。

閘門と聞いて、見たいなあと思う部分は当然ながら、その、かつての存在理由である閘門の閘門たる部分なのだ。

これこれ。こういう部分。色々言ったけど、ここが無事なら、まあ、許す。
閘門橋(二郷半領猿又閘門)

ここに、かつては鉄だか銅だかの分厚い、水をせき止めるための設備があったのだなあ。よくわからないモニュメントなんかより往時の古写真でも飾っててくれたほうがよっぽど嬉しい。古写真がなかったのかもしれんけどね。

ところで、ここから20メートルも離れてない場所に、関連する土木遺産がある。

これだ。二郷半領猿又逃樋。その名の通り、増水時の被害を最小限に食い止めるための余水吐だ。
二郷半領猿又逃樋

二郷半領猿又閘門が完成したすぐあと、木製の逃樋が大破してしまったため、こちらもレンガアーチで作り直され、大正元年に完成したらしい。

こちらのサイトに詳しい。
  >二郷半領用水逃樋
  http://www.geocities.jp/fukadasoft/renga/nigouhan1/index.html

明け方までの台風10号通過の余波で増水していた。
二郷半領猿又逃樋

ある意味、閘門とちがって、本来の役目を現役で果たしているとも言えるのかもしれない。
二郷半領猿又逃樋

ただ、ひとつ、問題がある。

閘門と逃樋、距離は 20m も離れてないのに、閘門は葛飾区で逃樋は埼玉県三郷市なのだ。

したがって、葛飾区の閘門の説明版に、
「すぐ近くに逃樋があるよ~」
なんて書かれてないし、三郷市の逃樋の説明版に
「すぐ近くに閘門があるよ~」
なんてことも書かれてないのだ。

縦割り行政のダークサイドでござった。

閘門橋 – OpenStreetMap
http://www.openstreetmap.org/?mlat=35.79503&mlon=139.85988#map=19/35.79503/139.85988

二郷半領猿又逃樋 – OpenStreetMap
http://www.openstreetmap.org/?mlat=35.79569&mlon=139.86021#map=19/35.79569/139.86021

佐久間象山砲塾跡と渋沢栄一宅跡(東京都江東区永代)

訪問日:2015-11-01

この項のパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=28#sakuma_and_shibusawa

永代一丁目と二丁目に分かれているが、水路をはさんで西と東。公園化されていて建物とかはなかったと思う。2015-10-26
佐久間象山砲塾跡 説明板

佐久間象山砲塾跡

渋沢栄一宅跡 説明板

渋沢栄一宅跡

  佐久間象山砲塾跡(江東区永代1-14付近)と渋沢栄一宅跡(江東区永代2-37)
  http://www.openstreetmap.org/#map=17/35.67457/139.79100

高田馬場跡(東京都新宿区)

訪問日:2015-10-19

この項のパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=28#takadanobabaato

地名由来の看板。
 高田馬場跡

現在は、そこそこ年季の入った中規模マンションが林立している。
 高田馬場跡

馬場跡マニア(いるのか?そんなマニア)なら、かつての馬場の痕跡を発見できるのかもしれないが、私には無理。看板から往時に心を馳せるのみ也。

  高田馬場跡(東京都新宿区)- OpenStreetMap
  http://www.openstreetmap.org/?mlat=35.71008&mlon=139.71628#map=19/35.71008/139.71628

広告
広告
広告

ここはシェアと拡散の店だ。どんな用だい?

さっそくフォローしていくかい?

広告
広告